垢抜け感のような、肩の力が抜けているが力は出せる状態が多分ある

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コラム
最近自分が垢抜けたなということでなく(笑)自分が動く動画(セミナー講座ですね)を見続けていて思ったことです(笑)

頑張らなきゃというのが「出る」と人は引く

絶対ではないですが、「自然な」頑張りは別にいいんじゃないかというところです。

ここでは「頑張らなきゃ」がでていて、それこそ「すでにやっているのにさらにやっているよ!」というある種の「もう大変です!」というのがでているのがどうかっていうことですね。主観満載ですけどね。

とはいえ、自分が「頑張りすぎている」って結構分かることでして、それが分からない、主観センサーが壊れているのであればちょっと色々と見直した方がいいわけですね。うつとかそういうのになりがちですからね。

僕はそういう人を見ると、なんか大変だなと思ってしまって、「頑張りやさん」ということですね。それは結構あぶなくて、その人の評価が「頑張ること」なんて僕はやだなと。あとそういうことを言うことはないですね。そういう話は聴くと、なんかもっと違う視点や表現をすればいいのにと思うので、マネジメント的にもNGだろうなとか思いつつ。

こういうと「え、じゃあ頑張っちゃ駄目なのか?」となると思うんですが、誤解しないようにいうと、やせ我慢しろってことではないんですよ。そもそも我慢してやっているのが本末転倒ではないですかね?

我慢というのが瞬間的に時限的にあるということは認めるしあってもいいのですが、それは平時、常時ではない。多くの日常はたのしいとか、面白いとか、学びになるとか、地味に積んでいくことがあるので。それってものすごく力を使う(ここでは個人の最大出力やパワーを使い切るとかという意味)のはちょっとやり過ぎじゃないかと。

だからといって、寝ているとか、何もせずに過ごすとかってことではなくて。それもやり過ぎですよね。

なのでその塩梅というのが、いい感じでたまにいっている「スイートスポット」というか、無理せず力を出しつついい感じにいくところを見極めるというか。

あまり効率化したり狙いすぎるという意味で「見極める」のでなく、色々やって「ここらへんかな」という程度の問題だなと思っています。

自分は頑張っているようにみえるのか?

まだ自分動画を全部見てないですが、パッと見て「冷静」「クール」「笑いを適度に」「リラックス」という感じがでてきます。多分僕はそこまで装ってないと思っていたんですが、実際に装ってるつもりはないんですよ!けど、そう見えるなと。まあこのイメージは別に悪くないというか。

そして、僕は「頑張る」と買って言葉が大嫌いでして。頑張ってとかいう人はいいんですが、頑張ることでどうとかってのもどうなのかなと。言葉として使うこともあるのですが、「頑張ってなんとかする」ってほぼ無策というか、アイデアや考えがない代替でしかないなと。ならば「良い手立てがないな」というところで終わるのかなって感覚があります。まあ、それで良い突破経験がある人は好んで使うかもですが、そんなにあるのかな???って感じですね。

話を戻すと、僕が僕自身を見た時に、頑張っている感はなかったんですね。この人が頑張ってないなとかは思わないですが、頑張っている感を出そうとしていない感はあるというか。

一方で固定概念もあるわけですよ。「この人がんばってなさそうなのにうまくいってるのかな?」とか。余計なお世話ですけど(笑)自分へのツッコミなので許してください。で、まあ考え方もちゃんと説明するし、信頼してもいいかなって一瞬でも思える。そういう意味で、まあ自画自賛&手前味噌まくりですが、いいんじゃないかなと。

といってますが、結局これは僕が僕を評価しているだけであって、お客さんとか人が評価するので、僕がいじれるとかはないんですね。ただ伝わらなかった点を改善はしようとできるけど、伝わらなかったのが事実であればまあ受け止めるしかないと。当然みんなにうまく伝わるとかはないと思うので、まあぼちぼちって感じになります。

多分これが、僕の肩の力を抜けている秘密?かもしれません。「ぼちぼち」でいい、「頑張ら」なくていい、「いい感じで」でいいじゃない。

そういうと成長とかと無縁に思われるかもですが、日々学習して何か学んで気づくことが好きなので、そのバランスとギャップでいい感じになるんじゃないかなあと。
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