自然で勝手に好奇心が生まれていくかというとよくわからないです。少なくとも、何か「これなんだろ」というのを止めないこと。または止められない環境にあることが大事かなと。
多分子供とかなら、世界が未知なのでなんでも食べようとするし、触ろうとしますよね。そこを教育していく。
すると、ルールとか学んでいくところで、色々規制が入る。これをやっちゃだめ、あれをやっちゃだめ。まあルールは大事ですけど、全部そうだと、新しい概念や体験ができないですからね。このバランス僕もどこにしたらいいかは結論はないです。
一つは身体に聴けと。スピリチュアルとかでもないんですが、自分がこれ「面白い」とまさに直観で感じているのに、それを「ルールだからやめよう」とかだとちょっとというか大分まずいというか。その直観キラーをやりすぎると、最後はうつになると思います。または好奇心が全くない人間が育つというか。そういう人からはなかなか新しい視点とか、チャレンジは生み出しづらいでしょう。だから、そうでない、つまり身体に聴いて「これ面白い」なと感じることを殺さないことですね。やったほうがいいことは保留しておいていつかやる。なるべく早いほうがいい。人生は有限ですから。
日常でもあるなんだろこれ?を殺さない
ある種判断の保留といってもいいと思います。
最近コンビニではメロンパンを推す広告が出ているのでなんだろなと思ったら、どうも各社競っているようです。なんでメロンパン?というと、まあ原価も安く開発しやすい・・・とは書いてなかったと思うのですが僕は仮説でそうしています。意外に未開拓だなと。とはいえ、バリエーションとか、どうせ「メロンパン」でしょ=砂糖まぶしたパンでしょで終わるのでそうならないようにするというか。パンの開発も大変だなと。
一方で、そこに目をつけたのが一社でなくコンビニ全体でそういう動きがあるのは何か他に意図があるかもしれません。
これが好奇心であり、アンテナかなと思います。なぜそう思ったのか?を僕は説明ができないんですね。伝わりますか?
「見かけた広告」「メロンパンが多い」「それが多い気がする」というところで、保留していた、またはキープしていたから。そして結論も何もなく「なんでだろうな」と思っていたから。いくつかの刺激を経てそうなったというところが適切な気がします。
だから、何かすぐみて受信?してひらめいたり、仮説がキラリとすぐ分かって解決する、導かれるなんて稀です。というかないので、日々のそういう積み重ねしかないんですよね。
これをなんだろこれ?というのを殺さないということですね。
好奇心を学ぶことって結構難しい
ある種子供心というところなんですが、それって大人がやると迷惑というか嫌がる人もいると。なんでなんでなんで?という質問攻めなわけです。鬱陶しいとか思っちゃうんじゃないですかね。なんで注文してから座るの?座ってから注文する店もあるよね?なんでコーヒーは黒いの、なんでなんで?
子供だった大人はそう感じた世界を少しは差があれど、色々そういうものだからで済ませるようになる。本当にそういうものか?というところをブラックボックスにせず、ホワイトボックス=中身がどうなっているかを見ることとして、やっていく必要があるんですね。仕組みとかといってもいい。
実は見た目が違うけど、コーヒーと紅茶は同じかもしれない。違うと分かっている人はバカバカしいと思うのでしょうが、知らなければ同じかもしれませんから、そういう仮説を立てて調べていくわけです。コーラとコーヒーはどうでしょうか?
個人的には酸味があるようなコーヒーなどは、ハーブティーに近い気がしています。なので飲みづらい人は、コーヒーというよりも紅茶だと思うと飲めたり。これは硬水が飲みづらい人が牛乳だと思うと飲めるとかみたいなのと似ていないかと。たまたま食べ物ネタですが、これを色々なネタで考えればいいということになる。
これって学ぶということだと思うのですが、色々な仮説を立て調べたり保留してなんだろうかを考えていくこと。
まさにこれらがアイデアのネタであり、アイデアの源泉でもあると断言できます。そういう好奇心や面白がることは、勝手に動くというよりも、やはり日々なんだろう?を積み重ねるしかない。ストックはメモであり、記録です。とはいえ、一瞬一瞬、瞬間瞬間はやはり頭で見て身体で感じてということですから、それをやるしかないんですね。
楽なアイデア出しとか、楽な発想法とかはやはりなくて。しんどいとか、辛いとかってことでなく、シンプルに「らくする」とかはちょっと違うというわけですね。好奇心とか面白がるも「楽」ってものさしがおかしい、ミスマッチなようにということです。その評価軸を持って考えるのもアリですけど、僕はそこに楽とかのものさしは持ち込んでません。別の視点では「楽しい」とかはあるんですけど、楽とかはないですよねと。
だから、好奇心とか面白がれる人はそこで楽しいわけで、さらにその仮説や検証が面白いのでやると。そうやってどんどん動いていけるみたいな感じになっていくんだろうなと。
というわけで、好奇心とか面白がる話でした。
アイデアの出し方って結局そういうことになるので、コツというよりも、かなり原理的で大事なことのような気がしますが、軽んじてしまう人ももしかして多いかもしれませんね。