カプは数で決まらない!逆カプの方が多くてしんどくなった時に思い出してほしいこと。

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こんにちは、ほうりです。

今回は自分の推しているカプとは逆のカプが数が多くて自信を無くしてしまうという心理とその打開策について語ります。

かくいう私もどちらかというと王道なカプよりもマイナーなカプにハマりやすく、かつ逆カプの方が数が多い上推しが大改悪されているのもあって、地雷カプ=逆カプに直結するタイプの人間です。

推しA=優しく温和な性格
推しB=鍛練馬鹿で言葉より手が先に出る直情的なキャラだと解釈しているBAを推しても、
A=サイコパスド屑のカス野郎
B=そんなAに振り回される被害者だという、AとA推しからすれば風評被害もいいところな解釈がまかり通っているABの数が多いととてつもなく居たたまれなく感じます。

楽しいはずの二次創作が楽しくなくなり、心身ともに病んでた原因の一つは逆カプの声がデカすぎてうんざりしていたという経緯があります。

ほんの一年前までの私は逆カプ=地雷カプの声のデカさと数の多さにやられてしまい、ABが目障りで目障りで仕方がなかったのですが、コーチングを行うことでこれもどうにかすることができました。

そんなわけで本題です。

推しカプ=数の多さが正義ではない

そもそもの話、あのカプは推している人が少ないから邪道とか、こっちのカプは推している人間が多いから正義とか、よくよく考えてみたら暴論でしかないわけです。

趣味の世界において数が多いのが正義っていう発想自体、客観的に見てみれば『何言ってんだコイツ』で終了です。


数が正義と言うならば、同ジャンルのXZというオンリーワンのカプに対し、一人でpixivに300件以上イラストを投稿している人もいます。
むしろこの人が覇権……否、覇王とも呼べる存在です。


私が推しているBAよりもめちゃめちゃ数が多いことに愕然とし、自分は何て甘ったれた環境にいるのだと激しく猛省したのと同時、やっぱり推しカプ=数の多さが正義というのは詭弁でしかないことがハッキリしました。


話しは逸れましたが、こう言う考えに少なくない人が捕らわれている原因は、幼いころから様々な意見が出た場合、多数決という数が多い方が勝ちであり正義であるという洗脳を受けて育ってきたことにあると私は思います。


というかそもそも人間は、周囲の意見に合わせて自分の意見を変えてしまう『同調』という心理作用が働く傾向にあり、どんなに自分の意見を持っていても、集団の中では多数派の意見に合わせて自分の意見を押し殺したり、多数派に流される形で間違った判断をしやすくなる生き物なのです。


同調が起きる理由として挙げれるのが『情報的影響』と『規模的影響』の二つとされています。


まず『情報的影響』とは自分の意見に自信がない時、他の人の判断を参考にすることです。一般的な例を挙げると、有名店の行列に並ぶなどに該当します。


二次創作的な意味で例えると、今までマイナーだったキャラやカプがアニメの影響で美麗な作画で動いて声が付いた瞬間ビッグウェーブが起き、我も我もとイラストや漫画や小説をTwitterやpixivにアップする現象がこれだと思います。


続いて『規模的影響』についてですが、自分が属している集団の期待に答えたいという欲求から、自分だけ目立って仲間外れにされたくないという心理が働くとされています。
定時を過ぎても周りが残業しているから流されて残業するというのがまさにこの通りです。


ちなみに二次創作的な意味で例えると、先述したABの解釈がA=サイコパスド屑のカス野郎でB=そんなAに振り回される被害者だというのがあまりにも多いため、Aの方が優しいしBの方が暴力的なのに…と思っていても界隈で目立ちたくないために封殺されているか、周囲に流されるままにABのテンプレ解釈に染まっていく状況に当てはまると思います。


話は逸れましたが、つまり逆カプが数が多くて自推しカプの数が少ないから、逆カプが正しいなんて根拠は全くと言っていいほどないわけです。
確かにその逆カプを心から推している人は勿論いますが、このカプは盛り上がっているから王道で安心できるし、今が旬ならこれさえ書いておけばバズるだろう程度の推しの人だっている訳ですよ。



ぶっちゃけ言うとニッチなジャンルの趣味だってバンドだって本だって一定数のコアなファンがついていますし、知る人ぞ知る地元民の間で長く愛されまくって、半世紀ほど営業している飲食店だって存在します。


そもそも二次創作自体がニッチな趣味で、未だに『何それ?美味しいの?』状態な人はごまんといます。



そんな二次創作の推しカプを掴まえておいて数が多いABが正義で、BAは顔カプだなんてよく言えたもんだなと思います。同じキャラなのにもかかわらず、です。


そんなわけで逆カプが数が多いからと言って正義だとか言っている人は、未だに多数決の洗脳から抜け出せないでいるんだなと、生温い目で見守ってあげましょう。そっちの方が精神衛生上楽です。


二次創作は等しく妄想の本来の意味

またこれもよく言われますが『原作で明らかに描かれていないキャラ同士のカプは等しく妄想だ』という言葉の意味をさらに深掘りしていきます。


原作で明らかに明言されていないキャラ同士のカップリングは妄想であり、つまり原作では一ミリも存在しない=0の存在です。


そしてpixivやツイッターなどで検索をかけた時、BAが10件、ABが1000件あったとしても、原作で描かれていない=0にいくら数字をかけたところで0にしかなりません。


つまりどんなにABが数が多い、BAの数が少ないと言ったところで原作に無い=0なのは明白なので、そんなことでマウントを取る方も数が少ないと嘆く方もナンセンスと言えるでしょう。


となるとやるべきことは一つ。
「原作で描かれていないキャラ同士のカプは等しく妄想=数の格差など無い」ので、逆カプの数の多さなんか気にしないでガッツリ楽しんだ者勝ちだと言えます。


それに、かつてリアルタイム時代にマイナーだと嘆いていた推しカプが、20年後のリバイバルブームで一気に覇権に上り詰めてフィーバーしたという例もあります。


栄枯盛衰。沈まぬものはないし明けない夜はない。


これを合言葉に数の多い逆カプにひるむことなくガンガン活動していきましょう!

それでも逆カプの多さに引け目を感じる自分がいるなら反論の反論を述べてみる。


それでも我々が受けてきた同調圧力や多数決の洗脳における数の暴力の影響はかなり根強いものです。



しかしいい加減逆カプの数の多さに引け目を感じて活動したくないという人は、何故引け目を感じるのかを紙に書いて下さい。



例)
・公式が逆カプに媚びてグッズ等で優遇されている気がする
・オンリーイベントを主催したいけれど、数が少ない自推しカプだから逆カプと比べられて惨めになるからやれない
・どんなにAが優しくて穏やかなキャラだって原作に描かれていても、ABもののキャラ解釈が流行り過ぎてて辛い

等々。



そのことに対して反論を述べてみてください。反論の数は特に制限しません。



・公式が逆カプに媚びてグッズ等で優遇されている気がする
優遇って言ったって、キャラ自体は同じだし、別に公式がAB○○グッズとか明記しているわけじゃないから、BAグッズとして受け止める権利はこっちにもある



・オンリーイベントを主催したいけれど、数が少ない自推しカプだから逆カプと比べられて惨めになるからやれない
今は一人から参加できるWebイベントもあるし、そもそも逆カプと比べられるためにイベントを開催するんじゃない。自分がやりたいから開くだけ。
誰かと比べて惨めになる必要なんかないし、数の多さを笠に着て貶めてくる人間の評価など取るに足らないし受け入れる必要はない



・どんなにAが優しくて穏やかなキャラだって原作に描かれていても、ABもののキャラ解釈が流行り過ぎてて辛い
AB者のキャラ解釈が妄想なら、BA者の我々のキャラ解釈も妄想であり、0である。0と0を比べたところで0なんだし、一生平行線なのだからブロック&ミュートをして視界に入れない。被弾した場合は心の中でてめえふざけんなと気の済むまで罵るか気が済むまで紙に呪詛を書いて破り捨てるを繰り返し、やっぱりブロミュする。
所詮数の多さなんかまやかしでしかないし、自分が信じるキャラ解釈をそのまま信じて創作に昇華すればいい。同志を見つけやすいプラットフォームに作品を投下し続けていれば必ず同志は見つかる



こんな感じで反論していきます。



ちなみに反論の反論は必要ないです。あくまで自分自身のエフィカシーを高めるのと、己の心の中にある自推しCPを卑下するドリームキラーをあぶり出して心から追い出すのが目的です。



そうすることで自分自身の推すカプに対して何の引け目も持たず、数の多さにすくみ上ることなく創作しやすい環境を整えられます。

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まとめ

いかがでしたでしょうか?



逆カプや地雷カプの方が多い故、自カプに対して引け目を感じていたり自信を持てない人はかつての私を含めてかなり多いと思います。



二次創作は等しく幻想だと言っても、その幻想すら数の多さが正義だと言われれば、数が少ないマイナーなカプ推しからしてみればこれほど無体なことはありません。



ですが先述した通り、どんなにニッチな趣味や書籍やバンドにもコアなファンがいて、時と場合によってはコラボカフェなどが開けるこのご時世ですから、どマイナーで数が少ないカプでも推したもん勝ちです。



なので、自分自身が推しているのならそのカプは自分の中では正義ということであり、原作で描かれていない妄想である以上、数が多かろうが少なかろうが0であるのは間違いありません。



心理学の観点から言えば、人間は同調という心理作用が働けば、集団の中で多数派の意見に合わせて自分の意見を封じ込めたり間違った判断をしてしまう傾向にあります。



そのため自カプの数が少ないからと言って、数の多い逆カプに卑屈になることも屈することも捻くれることもありません。



二次創作の世界は自由で妄想世界は妄想という名の0世界にしかすぎないのです。



その0の世界の中で好きなだけ自分の推しカプを愛でて作品数を増やしていく方が楽しいし生きやすさのハードルはグッと下がります。



30年もの間、逆カプ・地雷カプで不毛な消耗をしていた私だから胸を張ってそう言えます。




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ではまた。

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