超スッキリ!30年余り振り回されていた地雷カプへの怒りとイライラをピタリと止めた方法とは!?

記事
ライフスタイル
こんにちは、ほうりです。

同人活動や二次創作について回る地雷カプ問題。

SNSがこれほど流行っていなかった二昔前から、私は本命以外の地雷カプを見かけては、それだけで腸が煮えくり返るような怒りを滾らせていました。

それを意識しないようにやり過ごそうとしたり、自身の創作へのモチベーションとしてバネにしようとしても新たなジャンルにハマる度、地雷カプガッテム!!!という怒りの燃料がドバドバ投下されている状態。

先述の通り、SNS最盛期のこの時代。検索すれば二次創作のイラストや小説が簡単に見られます。

推しカプが見られる喜びよりも、地雷カプが流れてくる苛立ちが募りに募り、存在していることすら許せなくなり自己嫌悪に陥るという、約三十年間は最悪なメンタルで過ごしていました。

もはや二次創作をやっているのは執念みたいなもので、楽しさやワクワク感<<<<<<(越えられない壁)<<<<地雷カプへの恨みや怒りを晴らすことの方に重点を置いていたと言っても過言ではありません。

更に地雷カプ=推している人が多い所謂メジャーや王道と言われるものならなおさらのこと。見たくもないのに推しキャラや推しカプで検索すれば地雷カプが流れてくるという悪循環になり、Twitterや検索エンジンで検索出来なくなる始末。

ブロックしてもブロックしても新たに湧いてくる地雷カプを推す人たちのアカウントを見てはイライラは募っていき、Twitter上では罵詈雑言を吐き散らす毎日。

その時はスッキリするけれども、地雷カプが存在していることすら許せないから、見たくもないはずの地雷カプを検索してその内容を見てストレスやジレンマを溜まり、思い出しては罵詈雑言の繰り返し。

ハッキリ言って悪循環以外の何者でもない。でも分かっちゃいるけどやめられない。

この怒りやイライラは自分がジャンルから撤退するかしないと収まらない。
それでもこのジャンルや推し、カプにも未練があるし、何故自分を苦しめる地雷カプ者はのうのうとしていて私が撤退しなきゃならないのかと更にイライラが募る。

それにジャンルを撤退したところでまた新しいジャンルで地雷カプを見つけたらこんな怒りやイライラが生まれてしまって結局ブチ切れるに決まっている。

今までずっとそうやって生きてきたのだから、今更変えられようもないし、どんなにセルフコーチングを頑張っても怒りやイライラを克服できない私は死ぬまでこうなんだと半ば諦めかけていました。

そんな風に投げやりになっていた私ですが、お世話になっているマインドコーチングの先生の言葉がきっかけで、持っていた怒りやイライラをピタリと収めることができたのです。

それは一体なんなのか、以下から述べていきます。

地雷カプに関わらず、基本的に怒りやイライラは否定しなくていい

まず前提として、怒りやイライラは脳の偏桃体という部位が大きくかかわっています。

この偏桃体は「情動(感情)反応の処理」と「記憶に主要な役割」を持つ原始的な部位とされており、人類を含む多くの動物にとって、とても重要な役割を担う部分です。

偏桃体があるからこそ、人間を含めた動物は太古の時代より、恐怖をいち早く察知し、そこから逃げ出したり危険を回避する行動を取るなどし、命を生き長らえさせてきました。

しかし現代社会において生命を脅かす恐怖を感じ保存の役割を担っていた偏桃体は、ストレスやイライラ、怒りといった感情を受信し、更にそれを増幅させるという働きを持っています。

故に、怒りや恐怖を感じることは人間の本能的な部分なので、誰しもが持っている感情であることを理解しておく必要があります。

怒りや恐怖を感じたときにやっちゃいけないこと

じゃあ、この怒りやイライラを無くすためには偏桃体を切除しなきゃ無理じゃないのかと思いますが、無くす必要はありません。

そもそも無くすという発想からしてNGです。

先述の通り怒りやイライラは本能的な部分であり、自分の身を守るために偏桃体が察知したものなので、無理に押さえつけようとしてもかえって火に油を注ぐ結果になります。

そしてもう一つやってはいけないことは、怒りや恐怖を感情任せに爆発させること。

私がやってきたように地雷カプを見たら脊髄反射して怒りをTwitterに吐き散らすとかですね。

これって言ってみれば、催したらトイレに行かず本能のままにそのまま排泄物を漏らすのと同じ行動なんですよね。
↑の言葉はお世話になっているとあるマインドコーチの方が仰っていたのですが、私はこの一言で目が覚めました。

つまり私がやっていたことは
・Twitterという公共の場で
・鍵垢とはいえフォロワーさんという他者の目があるところで
・わざわざ地雷カプを覗きに行ってもらってきた便意や尿意を、所かまわずまき散らしていた
ということになります。

だって便意や尿意を覚えたらトイレに行って用を足しますよね。

そして地雷カプを見たら便意や尿意を催すことを知っているのに、そこにわざわざ突っ込んでいって、健やかな状態の膀胱や腸内にわざわざ便意や尿意を貰ってくるって考えてみたら不毛以外の何物でもありません。

そんな一言をきっかけにして私はぱったりと地雷カプを目にすることは止めました。

完全に地雷カプをスルーできるようになった超シンプルで実行可能な方法とは

繰り返しますが、地雷カプに関することをブロックしているにもかかわらず見てしまうのは、排便や排尿状態は良好なのに、わざわざ飲みたくもないのに下剤や利尿作用のある物をがぶ飲みするのと同じです。

そう考えることで私は地雷カプにかかわることをすっぱりやめようと思いました。

これは注意書きも何もなしに地雷カプ作品を見てしまったり呟きを見てしまった場合にも効果的です。

前までは、注意書きが必要な内容なのにそれすらしない奴は通り魔と同じだろ!!と怒り狂っていましたし、私は絶対注意書きは必ず書こうと反面教師にしていました。

ただ人は千差万別の考え方を持つもので、何が地雷であるのかというのも人によっては違うんですよね。

そのことを頭に置いた上で、注意書きをしていない作品や呟きは、不意に襲ってきた尿意や便意だと思うようにします。

例えば満員電車の中で、何の心当たりもないのに急に便意や尿意を催すあの感覚…。

それを吐き出すのだってトイレであることには変わりはありません。

そし便意や尿意は吐き出したところで後に引きずることもないです。むしろスッキリしますよね。

スッキリしたら、書きかけの本を読もう、作品を新たに書こう、寝なおそうと新たな行動をするために意識を向けますよね。

なので注意書きをしていない作品や呟きという名の便意や尿意もしかるべきところに吐き出したら、さくっと忘れて次に行ってもいいよと自分に許可を与えましょう。

地雷カプを嫌いだと思わない方が良い理由

あと個人的には地雷カプを嫌いなものだと思わない方が良いんじゃないかとこの方法を実践しながら思うようになりました。

というのも、地雷カプ=嫌いという感情を持つと脳は

嫌いだと思うものを見に行く
やはりこれは嫌いだと認識する
嫌いなものを嫌いだという期待が満たされるので簡単に報酬と成功体験が得られる
なので脳がその成功体験を求めてしまう。

所謂『怖いもの見たさ』が働いてしまい、見るのも嫌なはずの地雷カプを覗き見ることで、止めなきゃならないのに止められないという不毛なループに陥ってしまうのです。

このことから地雷カプ=嫌いという認識は改めた方が良いです。

少なくとも私は30年間、地雷カプ=嫌いという認識を持ったままずっとそこから抜け出せなくて藻搔いていたので。

なので少し抽象度を上げて、地雷カプ=吐瀉物や排せつ物を引き起こす尿意や便意や吐き気といったできることならなるべく持ちたくないものに例えた方が良いです。

だって吐瀉物や排せつ物を見て「こんな悍ましいものが私の中から出てきた」って思います?

吐き気や便意や尿意を覚えて「この野郎こんな感覚を私に覚えさせるなんて」なんて思います?

地雷カプもそれと同じ。近づいたり関わったりすると、不用意に覚えたくない便意や尿意や吐き気を齎す存在だと認識することがまず大事なんです。

そうすれば「この地雷カプに近づけば便意や尿意や吐き気を催して、貴重な時間をトイレで籠って(地雷カプに対する怒りで頭がいっぱいになって)貴重な時間を費やすことになる」と意識が書き換わっていき、おのずと地雷カプに関することを避けられるようになります。

また、自分の書くものも誰かにとって地雷=便意や尿意や吐き気を齎すものという認識も生まれてくるので、「あの嫌な思いを誰とも知らない人に覚えさせるのは嫌だな」という気持ちになり、注意書きをする必要性も改めて感じます。

先回りでブロックするのも「ゴメンね、私は貴重な時間をトイレに籠って過ごしたくないんだ」という穏やかな気持ちでブロックすることができます。曲がりなりにも「てめえなんざこっちからブロックしてやるバーカバーカ!」な気分ですることはなくなりました。

便意や尿意に例えられないのなら、〇〇になって考えよう

中にはそんな事で止められないよ!という人もいるかと思います。

そこでもう一つ、地雷カプをスルーする方法を伝授します。

その方法は、地雷カプを見てイラッときたら、その人、もしくは第三者目線で物事を考えること。

身近な例を挙げると、例えば挨拶をしたのにスルーされた・駅で向かいから歩いてきた人にぶつかられたけどそのまま素通りしてしまった等。

そこでなにすんだこの野郎という怒りやいら立ちが湧き上がった時、でもちょっと待てよとストップをかけます。

挨拶をスルーしたのは単に相手が気付いていなかっただけかもしれない。
素通りしていったのは急いでいたから、もしくは我慢に我慢を重ねてギリギリの状態で一刻も早くトイレに行きたかったのかもしれない。

そういう風に抽象思考で考えると前頭前野が働き、怒りやイライラを司る偏桃体の活性化を鎮めてくれるので、まあいいかなと怒りやイライラを和らげることができます。

仮にどう考えてもワザとに挨拶を返さなかったりぶつかってきたりした場合、そういう人なんだと理解して接したり、距離を置いたりすることも自由です。

これを地雷カプを見てしまった時に応用すればいいのです。

私はAをやんちゃ系で一途で芯の通っているキャラだから攻めとして捉えているけど、あの人はAをツンデレの寂しがり屋故に粗暴なふるまいをする受けキャラとして捉えているんだな。そういう考えなら仕方がないし自分と合わないのも無理はないよね。

Bはヘラヘラしているけど実は思いやり溢れて優しい受けキャラとして見ているけど、あの人は思いやりのかけらもないサイコパスな鬼畜攻めとして見ているんだな。原作を読み込んだうえでの解釈なら分かり合えないのはやむなしだよね。

といった具合に。

そうやって相手の立場になって考え、前頭前野を働かせて偏桃体の動きを抑えることによって、自分とは見ている世界や価値観が違うということを認識して受け止めやすくなります。

自分とはどうあがいても分かり合えない界隈に執着しても自分の貴重な時間を無駄にしていると気づいたり、数が多い最大手だからと言って委縮する必要はない、好きだという気持ちでやっているだけなんだから自分の推しカプを推していくという気持ちを新たにするきっかけにもなるでしょう。

また、地雷カプが嫌いなだけであって、地雷カプを推している人の文体や絵柄はむしろ好みかも…という、新たな発見にも繋がるかもしれませんし、地雷カプだからってむやみやたらに敵意をむき出しにする必要はないという気づきを得る場合もあります。

ちなみに何の前触れもなく見たくもない地雷カプがお勧め表示されて流れてきたという場合についても同様です。

「ああこの人は上手く書けた作品を多くの人に見てもらいたくて仕方がなかったんだな」と抽象思考で考えると、自分にも心当たりがありまくりなので、かつてないほど寛大にスルーす出来るようになりました。

有名なストレス解消方法との併せ技で地雷カプに対する怒りやムカムカを投げ捨てる

自衛してもTwitterや検索結果で地雷カプや解釈にぶち当たった場合、いくら不用意に襲ってきた便意や尿意と同じにとらえろと言われても、理不尽だと怒り狂う場面もあると思います。

そんな時は、ネガティブダストビンで脳内からその怒りを書き出してみましょう。
ネガティブダストビンのやり方は簡単。

地雷カプを見てしまったイライラムカムカその他諸々の感情を自分に正直になって紙に書き出す。
書き出し終わったらびりびりに破いて捨てる。

これだけです。
これは割とメジャーなストレス解消方法で、地雷カプに限らず仕事やプライベートなどにも使える方法です。

2012年スペインのオーノトマ大学での検証でその効果が実証されています。

何故紙に書着だすことでストレスが和らぐかというと、それは頭の中にある考えを紙に書くことで、脳がそれを実態になったかのように思い込むからです。

そしてそれを破り捨ててゴミ箱に捨てることで、地雷カプに対するイライラやモヤモヤが処分されたと脳が捉えてくれます。

ただ一度や二度で綺麗さっぱり地雷カプに対するイライラやムカムカが消える訳ではないので、ぶり返して来たらその都度紙に書いて破り捨てるを繰り返す必要があります。

そうすることによって、地雷カプに対するイライラやムカムカはだんだんと浮かびにくくなってくるため、自然と地雷カプに対するストレスや執着というのが薄れてきます。

ちなみに破くときは思いっきりびりびりに力を籠めて無造作に破り捨てた方が、いかにも地雷カプに対するイライラやムカムカ=ゴミだという認識が強まります(私は)。

地雷カプを見たくもないのに見せられて湧き上がってきた怒りは飲み込もうとはせず、排便排尿の如く紙に吐き出し、トイレに流すが如くびりびりに破り捨ててその都度スッキリ致しましょう☆
無駄にたまった裏地が白のチラシや過去のカレンダーの処分にもなりますし一石二鳥です。

更に最初のうちは時間制限は気にせず、とにかく思いつくまま感情の迸るまま、汚い罵り言葉で文字の形など気にせずに書いた方がいいです。
ノロウイルスや胃腸炎になった場合、とにかく吐き出さなければ治りが遅くなるように、怒りや憎しみをせき止めたところで新たなストレスになって心の健康の治りが遅くなるので、心の淀みを空にするつもりで吐き出しましょう。

地雷カプを同列に扱いたくないときに思い出したい仏教の逸話

地雷カプもそれを推している人も客観的に見て同列に扱いたくないと思う気持ちはあるでしょう。
その場合私はこの逸話を思い返すようにしています。
  ある 都市 の 王 が、 宮殿 に 生まれつき 盲目 の 人 たち を 集め て、 象 を 触ら せ まし た。 ひとり には 象 の 鼻 を、 ひとり には 象 の 足 を、 ひとり には 象 の しっぽ をと、 象 の 一部 だけを 触ら せ て、「 では、 象 とは どんな もの か 言っ て みよ」 と 命じ た の です。   すると ひとり は、「 犂 の 長柄 の よう な もの です」 と 答え、 ひとり は「 石柱 の よう な もの です」 と 答え、 ひとり は「 箒 の よう な もの です」 と 答え まし た。 ほか の 部分 を 触っ た 盲人 たち も、 めいめい に「 象 とは こんな もの だ」 と 主張 し て、「 お前 は 間違っ て いる!」 と、 殴り合い の ケンカ を 始め まし た。 その 光景 を 見 て、 王 は 大笑い し まし た。 ─ ─ 市街 サーヴァッティ での 説法   ウダーナ

草薙龍瞬. 反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」 (pp.55-56). KADOKAWA / 中経出版. Kindle 版. 

この際障碍者に対する蔑みや差別的考えは脇に置いておくとして、この話の中に地雷カプに対する考え方のヒントが隠されているように感じました。

同じ原作を見てこうだったらいいなああだったらいいなという妄想をしているのは自分も地雷カプを推している人も同じです。ただこの話のように見ているものや感じているものが違う、それだけのことなのです。

そして二次創作を知らない人たちが客観的に見れば「あの人たちがしていることはどっちもどっちの妄想でしかないのに、何故ああもいがみ合っているのか」という感想しか抱かないと気づいた時、地雷カプに対しての執着は排便や排尿と同じで手放した方が良いと痛感しました。

世のある地雷カプに対しての受け入れ方について

この手放し方を知るまでは、検索ボックスに『地雷カプ 向き合い方』『地雷カプ スルー』を検索しまくっていました。

・地雷カプに捕らわれるよりも好きなことを考えよう
・同じ幻影を見ているのだから自分の推しカプにどっぷり浸かるのが大事
・地雷カプはスルーするのが鉄板

等々色々書かれていましたが、それらを実行しようとしても地雷カプに対するイライラやムカムカは消えることなく、三十年弱持ち続けることになりました。

これらの方法は間違ってはいないんです。ただ、地雷カプに対するいら立ちやムカつきはあって当然だという受け入れ姿勢を整えない限り、ずっと堂々巡りになり、最悪自己肯定感がガクッと下がってしまいます。

地雷カプに対しての苛立ちやムカつきを覚えている自分を自己否定してこれらの方法を試してみてもうまくいくはずがないんですよ。だって本心では地雷カプに対するいら立ちやムカつきは消せていないのですから。

なのでまずは地雷カプに対しての苛立ちやムカつきは便意や尿意と同じで覚えても同然だということを受け入れた上で、じゃあそれをどうするかを自分自身の中で問いかけ、手放すなり昇華するなりするのが先決です。

そこから地雷カプに対しての呪詛を吐いている時間がまるまる自由に使えるようになり、その分を推しカプを愛でる時間にあてはめるようになってから「嫌いなものに時間を使うよりも好きなことに時間を使う」という本来の意味を知りました。

いうなればこれらの方法は一段階上のテクニックであり、基本を知ってから応用するのをお勧めします。

地雷カプによってもたらされる怒りやイライラは不要な尿意や便意と同じなので持ち込まず、更に抽象思考やネガティブダストビンで和らげることが可能

というわけで多くのジャンルを渡ってきてその都度地雷カプに対する怒りやイライラを三十年余り持ち続けてきた私が、それらの感情をピタリと収めた方法を紹介しました。

一番お勧めなのは、便意や尿意と同じと思うことですね。
更に言えば胃腸炎やノロウイルスにかかった時のことを思い出してみてください。

イライラやムカムカは根本的に便意や尿意と同じなので、人間生きていれば多かれ少なかれ持つものです。

自分が推すカプも人から見れば地雷なのに、それを嫌いだのなんだのいうのは烏滸がましいという感情も捨てた方がいいです。

だって便意や尿意って人が生きている限りずっと付きまとうもので、それを持つことが烏滸がましいなんて思います?

そもそも用を足しているとき「こんな風に排泄するなんて自分はなんてダメな存在なんだ…」なんて思わないですよね?

出物腫物ところ選ばずと言いますし、地雷カプを見たときに感じる怒りは便意や尿意と同じで、持つことも吐き出すことも悪いことではないんですよ。

ただ便意や尿意とは違って、関わることをすっぱりやめれば、それ以降地雷カプに対する怒り(便意や尿意)を抱く必要はなくなります。

出来ることなら嫌なことは考えずに好きなことだけを考えて生きていきたいものですよね。それが趣味であるならなおさらのことです。

どうしても受け入れがたい、嫌いだと思うのに地雷カプの動向をチェックしてしまうという方は、今回挙げた方法をぜひ試してみてください。

それでも地雷カプに対する不満やイライラ、怒りが収まらないという方は、これらのサービスをご利用ください。



ではまた。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す