添削と校正の違い

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こんにちは。ミヤジと申します。
ココナラ内外で、添削や校正、編集のお仕事をしています。
いつもご依頼いただいている皆様、本当にありがとうございます。
はじめましての皆様、ご縁をいただけてうれしいです。

私は、「文章の添削・校正サービス」を出品しています。
この記事を読んでいる方は、「添削」や「校正」についてどんなイメージを持っていらっしゃるでしょうか。
「添削」…がんばって書いた文章に、メッタメタに赤入れされる
「校正」…誤字脱字をなくして、文章を読みやすいように直してもらえる
こんなイメージを持たれている方が多いのではないかと思います。

これらのイメージは半分正解で、半分間違いだと思っています。
今回は、添削と校正の違いについて、
そして、添削を行うときの私の気持ちについて簡単にお伝えできればと思います。
よければ、少しばかりお付き合いください。

添削と校正は何が違う?

『広辞苑』で「添削」と「校正」をひいてみると、次のように書いてあります。
添削…「他人の詩歌・文章・答案などを、書き加えたり削ったりして、より良いものに改めること」
校正…「①文字の誤りをくらべ正すこと。②校正刷を原稿と引き合わせて、文字の誤りや不備を調べ正すこと。」

『広辞苑』 第7版(新村 出 編, 岩波書店)
どちらも、「文章が正しいか確認する」という点では同じですが、細かい違いがあります。
添削」は、文のつながりや内容などにも時に介入しながら、文章そのものに手を加えていきます。
一方で「校正」では、文字の誤りを正したり、原稿と校正刷を比べて間違いを訂正したりと、間違いを正しく修正することのみを行います。

誤解を恐れずに言えば、「校正」の作業では本当に最低限の修正しか行いません。
これは校正者が仕事をサボっているためではなく、“執筆者の意向が第一”という校正の基本姿勢があるからです。
日本語として間違っていなければ、基本的に修正は行われないと思っていただければわかりやすいです。

日本語は表記方法にバリエーションが多く自由度も高いため、校正でどこまでを修正するかはそれぞれの依頼ごとに線引きが違ってきます。
それをどう判断するのかが校正の難しいところです。
私もほかの校正者も、日々頭を悩ませています。

ちなみに、「校正」に “事実確認” の作業を含めたものが、「校閲」です。
校正者の仕事の多くは「校閲」に当てはまるのではないかと思っています。実は「校正」と「校閲」にはより細かな違いがあるのですが、ちょっと込み入った話になるので、ここでは省略することにします。

校正に出せば、読みやすい文章になって戻ってくる?

とお考えの方も多いかと思いますが、それは普通、誤った認識です。
本来的な「校正」では、前にも述べたように、明らかな間違いのみにしか基本的に指摘を行いません。
冗長な表現、わかりにくい表現も、書き手の個性として受け入れます。
(※程度が大きい場合など、ケースバイケースで指摘することもあります)

一般の方の中には、「編集」や「添削」にあたる部分まで「校正」と思われている方が多いのではないかと考えています。
そのため(主に紙媒体で)校正を専門になさっている方の「校正」と、一般の方からみた「校正」には、少し認識の齟齬があります。
校正してくれると思ったのに、文章そのまま!誤字脱字しか直してくれてない!というトラブルも、まれにみられるようです。

校正者は(本来的な意味での)校正を行うとき、極限まで文章に手を加えず、誤字脱字「だけ」を直すことを意識して頑張っています。
この機会に、正しく認識を持っていただければうれしいです。

※Web上での校正では、「良いコンテンツを作るためのチェッカー」として、校正を行いながら文章に手を加えていくことがあります。
これを「Web校正」と呼ぶこともあります。
メディアや仕事が多様化している現代では、校正者に求められる役割や、「校正」という言葉に託される意味も様々になりました。

私に「校正」を依頼すると?

ココナラでは、「校正」の依頼を多くいただきます。
私はそれを引きうけますが、作業として行うのはほとんどの場合「添削」です。
校正という言葉にうそをついてしまって少し申し訳ないと思いつつ。

つまり、私に「校正」を依頼すると、ほとんどの場合、「添削」されたものが返ってきます。
校正という言葉に対する認識の違いを考えて、暗黙的にこのように対応することが多いです。
もちろん、本来的な意味での校正を行うこともあります。

ご依頼者さまやそれぞれのご希望によって、対応や作業内容はさまざまです。
ご依頼によって、私に求められる役割や仕事は異なります。
どのようなご依頼であっても、ご満足いただけるまでお付き合いすること、
そして「伝える」をお手伝いすることは変わりません。

「伝える」をお手伝いするって何?

私は、添削という言葉があまり好きではありません。
説明に都合がいいから使っているだけで、本当は使いたくないと思っています。
なんか少し上から目線のような気がする言葉です。

私は私の添削を「添削」とは思っていません。依頼者の方にも思っていただきたくないと思っています。
あくまで私の添削は「提案」です。
提案を受け入れるか、受け入れないか、全てご依頼者さま自身が決めることができます。

日本語として間違いがないかどうか。文章として間違いがないかどうか。
これは文章が文章として読まれるための最低条件です。
ここをケアするのは「校正」の範囲だと思います。

そのうえで、私は「添削=提案」をします。
伝わりづらいと思われる部分を、原文になるべく寄り添いながら直していきます。
内容についてお伺いしながら作業を進めることもあります。

私の添削はあくまで修正のご提案です。もし提案がお気に召さなければ、ご依頼者さまが満足いくまで、ともに代案を考えます。
もちろん、そのままでも、まったく問題ないと思います。
自分が書いた文章のなかで、一番えらいのは自分なのですから。

これが、簡単な “「伝える」をお手伝いする” 過程です。

完璧な文章にしてくれるの?

文章とは難しいものです。
相手によって、場所によって、適した文章や表現はいつも違います。
また、ある人はいいと思った文章が、別のある人には受け入れられないことも多くあります。
完璧な文章は存在しませんし、私に書くことも到底できません。

私が提供するのは、「完璧な文章」ではなく、「満足していただける文章」です。
私は文章を添削していますが、これまでに世界中の人たちの心を文章で動かしたような、文章についてすごい人でもありません。
完璧な文章を作ることはできませんが、ご依頼者さまが満足いくまで寄り添うことはできます。
お困りの際は、頼っていだたけると嬉しいです。

添削や校正は、書き手・読み手のそれぞれに満足してもらえる文章を作るための手段にすぎません。
必要な手段、私にできることを総動員して、あなたの「伝える」をお手伝いします。
ご縁がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。


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