嫌な出来事もすべて必然

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コラム

今日は、昔よく行っていた場所に、たまたま通りかかり、ある人を思い出した。
そして、その人との間で起こった嫌な出来事の数々を思い出した。
もう10年以上前のことである。
映画やドラマの中の出来事と思いたいくらい、ソシオパスな彼に振り回された日々だった。
あの時は、「すべて必然な出来事」だなんて絶対考えられなかったけど、今はこんな風に思っている。
体験させてくれてありがとう。


それは、どんな嫌な出来事も「あり方」を調律するために必然的に起こっていると、今は考えられるようになったからだ。

例えば人間関係のトラブル、男女間であれ、家族間であれ、金銭トラブルであれ、病気、介護…etc
それは共同作業で、今回の体験を生んでいる。仕掛ける人がいれば、それを受け取る人がいる。
その嫌な出来事、その人がいなかったら、今の自分はいない。
それが起こらなかったら、今の自分はどんな自分だったか?
きっと今の自分のほうが、嫌な出来事、を体験する前の自分より成長できている。
何よりも以前の自分ではできないと思っていたことが、自信を持ってできることがわかったり、自分とまったくちがう世界に生きる人に出会えて視野が広がったりも。
その出来事がなければ、今の自分になるのにあと何年かかったかわからない……。
全ては「自分のあり方」を調律して、理想の自分に近づくために必然的な出来事だったはず。
でも、自分がわざわざ嫌な出来事を仕組んだなんて考えられないと誰もが思うだろう。

多くの人は「理想にしたい現実」があると思う。
その現実にシフトするには、“今までの自分”が変わる必要がある。
だから、自分のハイヤーマインド(高次元の自分)が嫌な出来事の体験を引き寄せて、自分が変わっていける機会を与えてくれてる。

トラブルの人という存在を引っ張ってきて、共同で創り出しているってこと。

すごく重要な考え方
「被害者」をやめる

自分のあり方が変わると現実も変わってくる。
被害者意識の自分だと、自分は被害にばっかりあっていると思う現実を生きることになる。
それは自分のあり方が、被害者側に調律されているから。
逆に、楽観的なあり方だと、たとえ意図的に何かされても気がつかないしなんとも思わない。
それができると、思考がハッピーな状態かフラットな状態でいつもいられる。
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