自分を目覚めさせる本音

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こんにちは皆様。
人間の本心はどこにあるのでしょう、自分の発言をちょっとだけ、綺麗に整えすぎている、と思ったことは有りませんか。
誰もが思っていても本心を探ったりしないんじゃないかな。
魂にあっても言葉として出て着る前、本性にあたるものを本心と言うと私は思っています。
そこに糖衣の様に舐めやすい装飾を施したものを、本音と判断しています。
本音は一瞬甘いけど、きっと本心には苦いものも、すっぱいものもあって、本人自体も、こんなものは人に味見させられない、何て出すのを控えたりしそうです。
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猫は本音で生きているのだろうけど、人間はそんな訳にはいかない、本音を言ったり本心を曝け出すことが、生きにくくする事態を生むことがある。

人が生きるのは他人とも交わって、それによる軋轢も経験して、本心を自覚していても、出さないのが賢いのかも。

でも、口触りが悪くても、味がおかしくても、人は本心を言った方が良い時がある。
自分にある本性を甘い糖衣でくるんで、本音として出したら、自分はきっと自由になれる。(人には批判されるかも知れないけど)
自由は厳しいけど、自分を目覚めさせてくれる。

そう思うのは私だけでしょうか?

いつも、有難うございます。
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