キッチンに立つ日々

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こんにちは皆様。
保存食がほとんどなくなり、朝から卵を焼きました。
作った物が無くなって、食べつくすと冷蔵庫が空になって不安になります。

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朝ご飯はパン。
娘は玄米好きですが、私はパンが好き、土日はパンにして貰っています。
今日はフォカッチャ、そして残り物の卵、焼いた卵、野菜、コーヒー、そして馬鹿話。
普段の日は仕事の為に、時間の拘束があり、馬鹿な話をしていられない。
今日は全員がお休み(三女は仕事が在るが、家から出なくていいので、余裕はある)なので、コナンの映画の話をしたり、料理の話をしたり、これぞ休日の朝食を満喫していた。
食卓の会話って美味しいね。
私は食事の会話は大事だと思う方だ、母などはあんまりしゃべると、「ちゃんと食べなさい。」と言っていたような気がするのだが、私はそれには習わない。
食事は楽しく食べたいよね。

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朝のうちになめ茸を作って(これは次女がしてくれた)サツマイモを蒸す。
朝にはこのくらいしか出来ない、直ぐに昼ごはんを食べる為に、片づけなければならない。
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サツマイモはペーストにしても良いかもと、思いながら切ってみる。
ペーストにするなら、酢と蜂蜜も入れる、持ちがよくなるような気がする。

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お昼はあり合わせで食べる、保存食の残りとあるものを切って千切ったサラダ、あーやんの有機野菜が美味しい、美味しいものは満足度が高い、楽しく、美味しく、ちょっと少なすぎるけど。

今はこれを書いている私に、台所からコトコト次女が料理する音が聞こえる。
いや、コトコトとSpotifyで流している音楽も、幸せの音だ。
私はお腹空いたーと、時々味見に行く、たぶん邪魔くさいんだろうな、と考えながら。
台所には思いやりと親密さがある、それと信頼も、作った人に信頼が無ければ食べ物は食べられない。
何時の間にか塩分が多くなって、病気になったり、体に悪いものが入っていても、作った人しか解らない。
外食ではどうなのッて思うかも知れないが、外食は毎日では無い、そう言う意味では家庭のキッチンは凄い所だ。

毎日6人分の食べ物を作っていた日々は、遠くに流れていったけれど、今もこれからも、台所には立つんだろうと思う。

自分を忘れてしまわない限り。

いつも有難うございます。







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