貧乏性のメモ魔

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こんにちは皆様。

今日は溜まっていくばかりのメモを片付けるとしよう、毎日のようにそう思うにだが、毎日溜まってゆくメモを確認して片付けて捨てる。

この三つの作業は結構大変になっていて、メモに追いまくられる日々を過ごしている。

「捨てればいいじゃん。」娘の声が聞こえる、確かにそうだが、捨てるにはもったいない言葉を書いてある物もあって、簡単に捨てきれない。

毎日捨てるメモあり、作っていくメモありのわちゃわちゃが机の上では繰り広げられている。

今日もメモを片付けてと考えていると、次女が買い物に行くという、三女も一緒に行くようで、一人で布団を洗いながらのメモの片付け。

人間は何故メモを取るのか?なんだか壮大な謎に挑んでいるみたいになってきて、メモの存在を考えている。

ほかの人たちはもっとちゃんとしたメモを取っているのかなー、でもちゃんとしていたらメモとは言わないよね。

コーヒーを飲みながら、鶏と卵のような議論を自分の中でしている、娘は片付けるのに時間がかかるのであれば、それはもうメモではないと考えている。

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確かにメモは確認して捨てるもの、それ以上ではないのである。

三女はメモを片付けている私の横でちょっと休息中、鬱が酷くなってお休みを決めたので、のんびりさんで休んでいる。

人間鬱になったら休まねば、その人間の横で私はメモをどうするかで悩んでいる。

捨てるべきか、残すべきかそれが問題だ、積みあがる紙屑に見えるものを睨みつけている。

「お母さん、解らんもんはしてたらええやん、簡単やん。」娘たちがいうと簡単に感じる。

うん、簡単に考えればいいんだ、こいつらは紙屑、言葉は私の中に埋まっているって。

だけど、まだちょっとメモは捨てられない、もしかして私って貧乏性でしょうかね。

いつも、有難う御座います。
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