信じるを考える

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こんにちは皆様。

文筆家になると思ってから40年以上は経っていて、元夫なら何考えてんの無理でしょと言ってのけるのだろうが、娘たちは信じてくれている。

自分でしたいと言って置いて、未だできてはいないのに、信じるよは有難いやら情けないやら(自分が)、こっちが拝んでしまう感じになる。

信じるって何だろう?

子供の頃から信じるのは危ないと思っていたからだ、学生の頃に読んだ本には目にしたからと言ってそれが現実であるかどうかは解らないと書いて有った。(何の本だか忘れたけど)

戦争の話を聞いても、書いて有るもの、目にするものを即時に受け入れるのは間違いだと思っていた。

子供が小さい時、近所のお母さんと世間話をしていた、何でも疑ってかかった方が良いと思うと言ってみた。

「えっ、ラジオもテレビも。」と聞かれた。

「うん、ラジオもテレビも。」

「じゃあ、新聞も?」新聞は良いと思ってたんだなー、と考えつつ答えた。

「新聞も。」

だってそうでしょ、戦争の時期に何が書かれていたか、テレビやラジオも見せたいものだけ見せれば良いのだから信じるに足らない。

自分の眼だって近眼で見えにくいし、見えているものが本当であるなんてわからない。

世間は解らない者だらけなのです。

事実は色々な方向から描かれた物を見て読んで、その中から探し出して自分で見つけるもんでしょ。

そう思っていてもそれは伝わらない感じで、何にも信じないなんてと云う目で見られた。

きっとあの方は今の戦争の状況とロシアと中国の言論統制を見て、そうかなと考えているだろうかな、なんて思ったりする。

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他人様にはそう言っても私も信じている事が有る、子供たちがちゃんと生活をしていくのは、信じていると言っていい。

娘が信じてくれるように、私も信じていると言っていい、相互信頼だと思う、間違ってるかな?

あの頃よりも情報は過多になっていて、信じるに足るものを選別するのは難しくなっている。

だけど欲しいのは真実ではなく、、事実の羅列、その中から自分で結論を導き出すから、事実を下さい。

今はそう思って、いろんな記事を見ている、どれもが関わった人には真実で、どれもが事実だと認識しながら、考えようと思う。

いつも、有難う御座います。

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