こんにちは皆様。
今自分お試し中の私は猫を見ながら文を書いている。
別に見るのは猫には限っていないが、家に居ると猫が一番面白いので、猫になってしまう。
自分で文を書いていてなかなか面白いと思う時もあれば、自分ってこんなに下手だったっけと思う時もある。
自分探しって言うと、中二病だよねと言われるだろうな、そう言う意味ではそうかも知れない。
大人は何処かで自分に見切りをつけて、見切り発車が出来てしまう、きっと人は器用に次の自分を見つけるのだろう。
私がどうかと言うと、不器用ですからとは云うものの、一応結婚して夫の会社で事務経理をして、会社を売るところまでしたのだから、器用に人生を泳いでいたのかも知れない。
でもそれは見切り発車って訳では無かった、結婚はしたものの何とか文を書きたいとは思っていた。
実際仕事が暇な時には事務所で文を書いて良いか夫にも聞いたくらいだ、でもその時期には何も書けなかった。
書きたくても文1つ思い浮かばなかった、今考えるとその頃の自分は自分を信じていなかった。
何かをする人は生活が許す限りしたい事をするという、何かをしたいと思う気持ちの強さも必要だけど、それ以上に自分を信じて生きて行く力が必要なんだろう。
それが有っても成功するとは限らないが、自分を信じて突き進む才能が有れば、何とかなるのかも知れない。
子供の頃、親も親戚も友達も(それを友達と呼ぶのなら)私の必要性を感じさせてくれなかった。
結婚したら必要だと思われると思っていたら、そうでは無いと気付いた、他人の話をしている夫の言葉に傷ついたのだ。
近所の奥さんが盲腸をこじらせて長い入院をして、やっと病院から出てきたときに耳が聞こえなくなっていた。
旦那さんが生きていてくれて良かったと言っていた、それでその話をすると返ってきた言葉が嫌だった。(酷いとか冷たいとかと思うより、嫌だの感情が先に出た)
「体が弱くて家事も出来へん、耳が聞こえなくて人と話も出来へん、何の為に結婚しとるんやろな。」
私は子育てと家事をする為に居るだけだったんだと思った、それまでは余り暖かい感じの人でなくても、もしどちらかが病に倒れたら、支え合うんだと思っていた。
この人は違っていたんだと思った時には4人の子供が居た、何とか子供が大きくなってから別居して離婚したが、自分を信じるのが出来る環境には無かった。
現在私はやっと自分を信じて生きていけている、子供たちが後押ししてくれるのと、会社を売っても離婚しても自分の芯は変わっていないとやっと気づいたんだ。
もう少し頑張って書いてみたいと思う。
いつも、有難う御座います。