自分に張り付いている物

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こんにちは皆様。
自分の親は好きですか、好きでも嫌な所が有ったりしませんか、私は父親は好きですが、母親は駄目です。

駄目というのは、中途半端だからです、人間として嫌っているとか尊敬していないのではなく、親としては嫌な部分が多かったのです。

その年でまだボケてない親がいてくれるのは幸せじゃ無いかと思われるでしょうが、其処は本人にしか解らない葛藤があるのです。

人は子供は親と同じ価値観を共有すると思いがちですが、実の所今の時代(昔でもです)雑多な価値観が世界を跋扈して、その価値観たちが世界を作っていると言っていい。

母親は価値観を共有させようとして子供を育てるの物ですが、我が母はまさにそれ、自分の価値観に子供を従わせようとしていた。

随分小さい頃から、私はこの人と居ると自分が自分で無くなってしまうような気がしていた。

絶対に母とは一線を画す価値観を持ち続けようと思っていたのだ。

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私は中学時代家庭教師の先生に来てもらっていた(恥ずかしい話)、その先生が「姉弟で親に感謝した方が良いよ。」と言っていた。

家庭教師を付けてくれていた事では無い、私も弟も敬語を間違えないと云う事だった。

ご存じのように敬語と言っても3種類ある、尊敬語、謙譲語、丁寧語、私達姉弟はどれも間違えなかったようです。

親の価値観は剥がし落とそうとしていたのに、言葉は不思議ですね、何故か親の言葉を張り付けて、自分の物にしている。

中学を出て、家から遠い高校に入って、下宿して短大に行って、短大を出て直ぐに結婚しても、張り付いた言葉は離れたりしない。

言葉は学校で覚えるのではなく、親や周りの大人たちの言葉を拾って、張り付けて、使うようになってゆくのだ。

今私はそう思う。

親になった今だからきっとそれが解ってきたのだろうと思う。

いつも、有難うございます。

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