幸福は感じるもの

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コラム
こんにちは皆様。
この頃よく思うのですが、幸せって自分で感じるのだ、感じなければ、それが人から羨ましいと思う物でも、台無しになってしまうのです。

幸福論と言えば、アランの幸福論が有名で、アランも感じる状態を幸福と呼ぶと言っていた。

アランの幸福論で印象的だったのは、狩人の話で(正しく覚えて居るかは解らないけど)ある狩人が狩りでウサギを狩るのに失敗してしまう。
夜その狩人が「私が取らなかったからあのウサギは一日生を長らえた、それで幸福を感じる」と考えたって事だった。

矛盾はあるけれど、幸福ってそんなもの、矛盾の塊でも自分が幸せだと思ったのならそれで良いのだ。


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猫はここに居るのを幸福と感じているかどうかは解らないが、人間は自分で幸福を感じとる感性が備わっているので、他人からどう思われようと、良いのだろうと思う。

私も離婚して、人から見ればちょっとした落伍者かも知れないが、自分としては結婚している時よりも今の方が自分として生きている。(結婚している時も出来たら良かったのでしょうが)

アンドレ・ジッドは田園交響楽の中で、「目の見える人間は見えるという幸福を知らずにいる」と書いている。

私はあの頃は、幸福の意味を感じるのが下手で、今は感じやすくなっているのかもしれない。

折角見えているのだから、その幸福を感じていたいと思っている。

いつも、有難うございます。


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