悲しみの正体

記事
コラム
本当の悲しみの正体ってなんだろう?
それを消化するためには
どんなふうに考えればいいのか


お母さんが末期がんで苦しんでいる
友だちからの
「悲しみの正体を一緒に考えて」
というLINEから考えてみました。

ここで言っている悲しみは
大切な人を失うかもしれない、失った
悲しみのことになります。


「本当の悲しみの正体」ってなんだろう?
この正体がわからなければ、当然
「ケア」することはできませんよね。


悲しみの正体と根源的な欲求を満たす
「〇〇する力」
この「〇〇する力」が不足、
または弱ってくると、最愛の人を
失くしたときに、癒されることのない
深い悲しみに陥ることになります。


考え始めたときには
「〇〇する力」がわからず途方にくれました。


大切な人が亡くなったとき
どんなに嘆き悲しんでも
死んだ人が生き返るわけでもなく


中には事実を受け止めきれずに
ノイローゼになったり
後を追ってしまう人もいます。

一生傷がいえない人もいるわけです。


それが事故であれ、病気であれ
自死であれ。


悲しみの正体がわかれば
ずっと立ち直れない誰かの役に立てたり


生前から人との関係性について考えることで
悲しみをこじらせずに乗り越えることが
できるようになるかもしれません。


「悲しみの正体」とは
悲しみ=sad greaf


古代では悲しみ=愛しさとも表現されていたとか

悲しみとは「物事が失われたときに感じる感情」
正確には「切実な物事が失われたときに感じる感情」です。



【悲しみの定義とは】

・悲しみの生じる状況では、愛情や依存の対象が
 失われるという危機がみられる。

・一般的に愛情、友情、依存、共栄の
 対象が失われたときに見られる。

・対象が失われるとは、死だけではなく
 存在が遠くなる、つまり恋人との別れや 
 夫の単身赴任といったことや
 大事にしていた物が壊れる
 楽しみにしていた行事が無くなるといったことも含まれる。


ここから想定すると「悲しみの正体」は
「否認」「怒り」「寂しさ」「後悔」
「恥ずかしさ」「喪失感」「愛しさ」
だと思われます。


仏教的な悲しみの解毒剤的思考

仏教では依存対象への依存度を下げることを唱えています。

例えば親しい人が亡くなれば悲しみを感じます。

そこで
「死は当たり前のことだ」
「誰だって死んでいく」
「年を取って老いていかない者は一人もいない」

もちろん不慮の事故や
若くして亡くなった人への想いはこれだけでは
解消できないかもしれません。
(参考にはならないかもしれませんね)


ですが、自身の生活に影響が出ている
生きているのが辛いとまで感じる
そんなふうになるまえに


「全ては無常だ」
「消えていくものだ」
「自分の思い通りにはならない」
「いつまでも他の人や減少に依存していくのは不可能だ」
などと自分の気持ちと向き合いながら落ち着きなさいと
提唱しています。


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私的には
このような思想にプラスして
〇〇する力=感謝する力
を備えていれば


悲しみをステキな思い出に
できるのではないかと思います。


「同じ時間を過ごせてよかった」
「楽しくて素敵な時間をありがとう」
「ずっとずっと大好きだよ」


悲しむことは決して悪いことではありません。

失って初めて気が付く存在の大きさや愛しさが
必ずあるはずです。


愛しさを感じることで悲しみは増すかもしれませんが
別れの悲しみを時間の中で薄れさせるのではなく
しっかり自分の中で向きあって
大切な宝物にすることができる。


そうすることで出会いの奇跡や愛おしい時間
自分自身の限られた命をもっともっと大切に
できるのではないでしょうか?


悲しみ=愛しさは
背中合わせの感情です。

日頃から目の前にある人間関係に感謝をすることで
別れの意味も変わるのかもしれません。

少し話がそれますが
日頃から感謝することができていると
身心にも良い影響を与えることがわかっています。


大切な人を失うという
深い悲しみに襲われたとき
それだけの想いを残してくれたこと
愛をくれたことに感謝したいですね。







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