『友達ができない』という悩みについて

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コラム

はじめに

友達ができない。この悩み。多いですね。長年続けているボランティアや、グループワークなどでもたびたびテーマになります。
皆さんどうですか?友達、特にここでいう友達は親友という類の友達いますか?
いないとして、それを問題だなと思ったことがありますか?
※問題だということが前提ではありません。

現代人と友達

この、友達問題(仮)。僕のみたてでは、現代の社会構造が生んだ社会問題なんじゃないかなと思いますね。
現代社会は、すごく効率的なんですね。言い換えれば無駄がどんどん省かれている。
小学校中学校高校と、大学進学や就職を前提にして無駄なく知識や常識を教えていく。
生活の中心はやはり学校・学習であって、遊びや社会勉強なんかの自分からやる活動っていうのはあくまで余暇の使い方に過ぎないんですね。
今結果、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という「常識」が生まれていますね。これはこれでいいんですがね。

何がいけないかというと、人と出会うチャンスが、少ないということなんですね。僕がこの問題をとらえるとき、ポイントとなる点は『チャンス』と『能力』です。
なんだか、経営コンサルティングとなんも変わらんのじゃないかといわれそうですが、どんなに素敵な人がいても、出会わなければ友達になれないし、たとえ出会えても自分が相手に見合う能力がないと友達になれない。そういえばしっくりくるかなと思います。
以下、いろいろ話しながら、説明していきますね。

友達ってなに

まず、友達が欲しい。の前に、友達って何でしょう?

友達っていうのは、信頼出来て、困ったとき助けてくれて、寂しくなったら話し相手になってくれて、自分のことをわかってくれて…

などと、人それぞれに思うことがありますよね。
僕が思うのは、これそのまま、「自分ができないといけないこと」なんですね。
つまり、信頼出来て、困った時に助けてくれる友達が欲しいなら、自分が相手から信頼されて、困ったときに助けてあげられる人じゃないといけないってことなんです。

つまり、僕が思う友達っていうのは、『フェア』であることが大切な相手ということになります。

困ったときに助けてくれるって何でしょう

困ったときに助けてくれる。この言葉って、聞こえはいいですけど、いったいどういう状況で、どういう意味があるんでしょうか。

例えばですけど、今の僕のように杖を突いて歩いていると、自動ドアを開けてキープしてくれたり、エレベーターを譲ってくれたりしますよね。(実際にはしてもらったことないですが)

これも、広い意味では困ったときに助けてくれるうちですよね。

ただ、僕が思うに友達関係でいう、「困ったときに助けてくれる」は、これとは少し違うんですね。

友達関係において、困ったときに助けてくれるというのは、実は暗に、
「私が困ったときには友達は『自分の犠牲を払っても』助けてくれる」という意味を含んでいるんですね。

わかりやすい例でいうと、お金を貸す。
これは、貸してしまったお金が貸している間、自由には使えないという犠牲を払いますね。
最悪の場合、このお金が返ってこないと、貸した金額そのものが返ってこないという犠牲を払います。

程度の差こそありますが、多かれ少なかれ友達と呼び合うには、この「犠牲を払っても相手のために何かをする」という暗黙の約束がないと成立しない関係なんじゃないかなと思います。

言い換えれば、『フェア』に、自分が相手に対して犠牲を払ってもいいと思える相手だけが本当の意味で友達と呼べるのではないかと思いますね。

ちなみに、僕は人生を通して数人の友達ができましたが、僕が彼らに対して支払ってもいいと思う『犠牲』には、命とか人生といったレベルの価値を含むものだと思っています。少し極端な考え方だとは思いますが、友達と呼び合っている以上、いかなる犠牲を払っても相手を助けられるなら犠牲は惜しまない。そう思える相手だけ、友達と呼ぶことにしています。

なぜ友達ができないのか

冒頭でも説明しましたが、一つには、出会いがない。
学校生活中は、たまたま同じ地域に住んでいたからとか、たまたま同じ学校を受験したからといった、偶然の出会いで最小限のチャンスが与えられます。
このチャンスの中で気の合う相手を見つけられなかったりすると、そのあとは、家と会社の往復をするだけの生活になって新しい友達ができない。そういう風になっていくのが普通の現代人なんじゃないかなと思います。
ふと身の回りを見ても、僕の父親ですら、連絡を取るのは親戚・同僚・大学時代の同期。そんなもんですね。これが普通です。

そしてもう一つ、友達ができない、最大の問題は、単純に。

能力がない。

誰かのために払える犠牲がない。誰かのために犠牲を負う覚悟がない。
これらをまとめて、ばっさり、能力がないといえます。

自分は相手に何もしてあげられることがない。自分は相手に何をしてあげるつもりもない。だけれども、相手には助けてほしいし、信じてほしい。

そんなわがままは、到底通じるわけがないんですね。

ではどうすればいいか

①出会いは自分から探す。
趣味でもいい、仕事でもいい。今の時代はちょっとSNSのタグをたどれば、同じことに興味があったり考え方の近い人を探すのは簡単です。
「友達が欲しい」と素直にブログ記事やSNSに書いてみてもいいじゃないですか。
とにかく、行動しましょう。出会うこと自体のハードルはたいして高くないです。

②能力を高める
まず、統計的・体感的に友達ができないという相談の、相談者の95%は、リアルが充実していないです。
生活に余裕がない、職場で精神的に消耗している、将来が不安でたまらない。
こういった人に、誰かのために犠牲を払うことなんてできるわけがない。
まずはいったん、友達作りを置いておいて、自分の生活を自分の経済力を、
自分の将来を安定させましょう。

③余力を作る
先に説明した能力とも、かなり被る部分がありますが、余力を作る必要があります。これは、はっきり言ってしまえば経済力と時間の余力の事です。
人と付き合っていくには、どうあがいてもお金と時間がかかります。きれいごとを言っていても始まりませんのではっきり言いますが、これらがないとまともな人付き合いはできません。
そして、あえて「余力を作れ」といっている最大の意義は、余力は作ろうとしないとできないからです。
普通に生活して、一生懸命働いていると、いつの間にか余力ができる。
そう思っていてはいつまでたっても余力は生まれないし、友達もできないんですよ。
収入の中からある程度の余剰金を出せるように工夫していく。週末は寝て過ごすのではなくちゃんと朝早く起きて家事をさっさと済ませる。
こうやって、意図的に、自分が自由にできる時間やお金を作りましょう。
そして、できた時間やお金で人と付き合っていきましょうね。

④どこまでいってもリスクオン
くじは、外れます。肝に銘じておいてください。
自分がどんなに頑張っても、友達探しは、運が絡みます。
自分の能力を鍛えていくことは、あくまで、この当たりくじの確率をあげたり商品をよくするための努力です。
どこまでいっても、失望するリスクはあります。
自分が悪いわけじゃない。そういうこともあります。
いつか頑張ったのに、うまくいかなかったときは僕がそう言ってたなと、思い出してくださいね。ケセラセラです。

これを前提にもう一つ覚えておいてください。
リスクオンほど、効率がいいものはない。
友達ができない。そう悩んでいる人の中には、誰かと友達になろうというとき、相手から仲良くなってもらうのを待っている。そういう人が多いと思います。非常に効率が悪いですね。

恋人に限らず、友達も取り合いです。自分が仲良くなる前にほかの友達ができて親密になってしまうこともあります。あるいは、異動やその他の事情で連絡が付きにくくなることもあります。

もちろん、相手に断られたり、信頼を裏切られたりと、自分から心を開いていったり仲良くしていくことで、嫌な思いをすることが大いにあり得ます。
そういうリスクがあります。

しかし、こういうリスクを先払いで負ってこそ、本当にいい友達に出会うチャンスが増えます。
そういう意味でも、先に挙げた余力をもって生活することが大切です。
心や生活にゆとりがあれば、裏切り上等、大けが上等で、どんどん人と出会っていくことができます。

そもそも

さて、ここまで言って今更なことを書きます。

友達はいなくても構わない。

これが真理です。いてもいなくても支障はない。

が、

いると人生がとても豊かになります。そういうものです。

皮肉なもので、友達がいないと堪えられない、いないと不安だと思っている人ほど、

友達はできません。

逆に、いなくても困らない、いなくても自分でちゃんとやっていける。そういう人ほど簡単にいい友達ができるものです。

ここまで読んでくださった方になら、よくわかると思いますが、そういうものです。

あせらず、自分のペースで、できることから。万事に通じます。

最後に

最後に一言だけ。

友達は取引ではありません。トレードオフではないんです。

最悪の場合、すなわち、自分の利害と対立するとき、

もっと具体化して言うなら、

『言ったら嫌われそうなことを相手のために言わないといけないとき』など、

割に合わない場面というのがあります。

こういう時、どうすればいいか。

迷わず、相手のためになることをしましょう。

もちろん、全然割に合わない。

ただ、本当の友達というのは、相手のためにできることを「犠牲を払っても」できる相手のことです。

仮に友達関係そのものがその犠牲になっても例外ではないんです。潔く、払ってしまいましょう。

もし運が良ければ、まだ友達でいられるかもしれません。

しかしそんなことは、期待してはいけません。運命というものはそういうものです。


まだまだ書き足りませんがあまりにも長くなったので、今日はこのあたりで。

ではまた!

追伸

※あくまで個人の考え方です。違う考え方があってもいいし、矛盾したりはしません。お好きにどうぞ。
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