「自分の意見を言う」ことが怖い!

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ようこそ♪



先日、3日間缶詰め状態で心理学の勉強に
励んでおりました。1月の話です(笑)


それで、講座中に
「自分の意見を言うことが怖い」と思う私が
意識の表層に浮かび上がってきたんです。
(先生のお話しをよそに想いにふけって
いました)


私の意見は誰かを傷つけるんじゃないか

私の意見は反感を持たれるんじゃないか

私は嫌われるんじゃないか…

って思っているなーって。


そんな思いがあるときは、普通に話せなくて
力が入って強く言ってまったり
早口で捲し立てるように言ってしまったり

話ているうちに怖さや罪悪感が出てしまって
「あー、やっぱり良いや、何にもないの」
っと途中で止めてしまたり。

頭も心も忙しくて、疲れるんです。

そして
あの言い方は、誤解されてしまったかも…
などとクヨクヨしたりしてしまいます。


私は、
正しい意見を優しく言いたい
間違った意見を言いたくない
恥ずかしい思いをしたくない

「それは間違っている」って
責められたらどうしよう
嫌われたくないって思うんですね…。





私は「正しく生きよう」
それが正しい生き方だと思ってきました。



あなたは、どうでしょうか?
あなたも「間違わないように」と正解を探し
て生きていませんか?




私たち日本人は、正しいことを基準にして
育てられてきました。

「正しいことは美しい」
日本ってそんな文化ですよね。



ここで、一緒に考えてみて下さい。


自分が「正しい」と言ったとき、
間違っている人がいることになります。

言いかえれば、
自分を正しい位置においた時、
間違っている位置に誰かをおくんですよね。

もっと言えば、
「自分は正しい」と言いたいから、
間違っている人が必要になるってことも
あります。


そして、
「あなたは間違っている」って言っている
自分に罪悪感が湧き上がってくるから、
それを隠すために相手を攻撃してしまう。

または、
自分が誰かを非難していることが
間違っていると分かっているから
その罪悪感を隠すために
自分を正しい位置においてしまう。


私は、そんな構図を嫌がっている
恐がっていたんだなと分かったんです。


「私は正しい」と言えばいう程

「あなたは間違っている」を強めていくの
ではないかと恐がっているです。


だから自分の意見を言うのが恐いんですよね。



「正しい」は「美しい」ではない


「正しさに」拘る思考が 、私たちを
被害妄想にさせ生き辛さになっているなら


これからは、
「正しい」ではなく、ワクワクする方を
「正しい」ではなく、心があったかくなる方を
「正しい」ではなく、「愛」の選択をすることに
意識をしようと思います。

その選択の結果、問題がやってきても、
それもまた
「正しい」ではなく愛の選択をしていく。


そんな意識をしていったら
楽に素直に自分の意見が言えるようになっていく。



そんなことを考えていたら、ちょうど先生の話と
シンクロしてきて、ステキな奇跡を味わいました。


あなたも一緒にそこから抜けだしましょう。





読んで下さってありがとう。
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