「困る」、「悲しむ」のは良いこと

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コラム
親として、子供に、
苦労をさせたくない。
と思うのは、親心なのだと思います。

そうすると、
「困る、悲しむ」=悪いこと
ついつい、そうやって思ってしまう。

でも、見方を変えれば、
「困る、悲しむ」
ということもまた、良いこと、
かなと思う。

世の中の多くの仕事は、困りごとの解決でできている。

歯磨きを手伝ってほしいという人はいない。
歯を磨くことに困っていないから。
でも、手で歯を磨くと、きれいに磨けないので、
虫歯になる、痛い、臭い等、
という困ったことになる。

それを解決するために、
歯ブラシがあったり、歯磨き粉があったり、
水が出るようにしてあったり。

世の中の仕事はすべて、
「困りごとの解決」
又は、
「喜びの創造」
で出来ている。

もし、
困ったことを一回も経験したことがなければ、
困りごとを解決することができない。
困りごとを解決できるのは、困りごとを経験している人だけ。

だから、
困るということは、あながち、悪いことでもない。
その経験は、誰かの役に立つ知識になる。


悲しむということ。

悲しんだことが一度もない人は、
悲しんでいる人の気持ちを知ることができない。
他の人にやさしく接することができるのは、
悲しい思いを経験して、どれだけそれらを受け入れてきたか?
による。

優しい人が、優しいのには、きっと、
それなりの経験があるからなのだと思う。

すると、
子供が成長する過程で、
苦労をさせなかったり、
困らないようにさせたり、
あえて、悲しみから遠ざけるようにしたり、
することは、
良いことなのだろうか?
逆に、悪いことなのかも?
とも思う。

ただ、
子供の成長を考えたときに、
苦労、困りごとというのは、
他の人の役に立つための経験であるということ。

悲しみというのは、
優しさの種であるということ。

そう思ったら、
子供に起こる出来事が、
すべてプラスに感じられる。

赤ちゃんの時に、
ママがいなくて泣くかも。

でも、その行為は、
ママのぬくもりを知っている証でもあるし、
ママがいなくなって、何とかしようとしている証でもある。

長い目で見たら、成長している証でもあると思う。
産まれたときに、泣き声を聞いて、
ほっとしたあの気持ち、

でも、日が経って・・・
子供の泣き声を毎日聞いていると、
何か悪いことをしているんじゃないかって、
思ってしまいそうになる。

でもそれは、子供が大きくなる時に、
必要な経験を積んでいる時期、
成長している証。

若い時の苦労は買ってでもせよ、
という、

いや、
若くなくても、いつでも買ったらいいと思う。

その経験が、誰かを幸せにしています。

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