証人になりたい(傍観者でしかないけれど)

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相変わらず、Україна(ウクライナ)の国難は止まず、ですね(T_T)。世界中の人が、報道に接し、やきもきしていると思います。
ただ、そんなやきもきよりも、現実に攻め込まれておられる方々は、本当にガチの恐怖でしかないと思います。

先日、ブログに書いてましたように、ささやかですが募金をしてきました。いろいろ心配なので、分散化しての募金をやっていこうと思います。

もともと日本人の気質は判官びいき(この判官というのは、どうやら源義経さんのことらしいですよ←うろ覚え)なので、初日はついウクライナ大使館にも多く募金をしました。
が、万一の場合、ロシアあるいはロシア側による傀儡政権にお金がいきわたる可能性を考慮して、UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)に多めに送っています。
ここに書いた、万一の場合というのは絶対に避けたいのですが、かと言って、今のところウクライナの人々だけを最前線に立たせているみたいなので、それはあまりに忍びない気がします。
まずはロシアに経済制裁のボディブローが効いて、どんどん困ってもらい、
『けっ、今回はこれくらいにしといたろ、』みたいに
ある程度プライドを保ちつつの捨て台詞を吐いて、撤退していって欲しいものです。
偉い人達は、完璧な仲裁なんかじゃなくていいので、なんとか停戦の落としどころを探っていただくしかありません。めちゃめちゃ腹は立っていますが、追い詰めすぎは、また困ったことをしでかしそうな人(国)なので、本当に難しいと思います。

さて、募金の話に戻します。
もともと、自分は募金を好む性質なのです。
まぁ、親が平時でも自分の稼ぎの1%くらいは公共費として考えろ主義でしたのでその影響ですね。
ただ、働き始めて給与明細を見たりとか、確定申告とかをやるようになってからは、税金と社会保険にけっこう取られているのを知ってからは。
社会保険と同額くらいのレジャー費(自分へのご褒美)は使おう、って決めてからは、だいぶ公共費(募金)にしわ寄せが来ていました。

市内での募金は領収書などがありませんが、公共のUNICEFとかきちんとくれます←税金でも控除対象になりますので、ぜひお心を痛められていて、何かしたいという方は、善意の支援を考えてみてくださいませ。
何と言っても、{お金をお届けする}だけの手続きは、今はとても簡単になっています。
ただ、やり過ぎは禁物です。今後物価はさらに上がるように思いますので、自分の生活が苦しくならない程度にしましょう。
自分のおやつ代を、自分一人分払うのじゃなくて、数人におごって一緒に食べるイメージが良いと思います(子供の頃はそうだったのです)。

逃げ惑う人々を助けてあげたいと思っても、なかなか叶いません。
大震災の時も、その後の津波の時もそうでした。
私たちは、傍観者でしかなかったのです。TVなどを通じて、
『逃げて~!』と思い、どこかつかまってやりすごす所はないものか、高い建物に登っていけないか、と思うことしかできなかったもどかしさを経験済みです。(しかも、TV報道を見た時は、もちろん過去の映像で、TVに向かって叫んでも、ただのおバカさんでしかありませんでした)

あの時も募金しか出来なかったのです。募金をすることが、自分のざわつく心を納得する手段で、ほぼ自己満足です。(というわけで、募金することが、なんか優しくてエライわけでも何でもありません。それぞれの自由なんです。逆に誰かが募金すると、それに口出しする人もいますが、それもやめてほしいものです)

そして、ある程度、過去になってしまったので、今は東日本大震災あてに募金はしていません。頭の中で、すでに復興していると思いこんでいるからです。緊急事態ではなく、政府のセーフティーネットがあると信じているからです。

でも、まだ復興していない町があり、仮設住宅に暮らしている人々がいて、ある程度仕方ないけれども、でかすぎる?防波堤が逆に怖いという地元の人々、ある程度区画整理出来ていても、その後の暮らしができるか不透明すぎて、結局故郷には戻りたくないという方々がいて、現実はまだまだ問題山積みのようです(←これも、ただの報道からの受け売りです)。

というわけで、募金しつつも、震災は?ミャンマーは?反貧困ネットワークには?
と自分で自問自答し、自己嫌悪しつつ、なのです。

今回も本当にそうです。募金したら、ちょっと落ち着く自分もなんだかな、と思います。
自分には何の力もないとつくづく思います。
祈るだけしか出来ません、正直に言うとそうなのです。
だから、『NATOもひどいよなぁ』と、漠然と呟きながら、じゃ、お前は何できるんだ?って自分ツッコミをしています。

ていうか、もう何も出来ない人間だと、よ~~く思い知っていますので、世界の頭の良い人々にお願いしたいとしか思えないんです。というわけで、野次馬のような批判も控えめにしたいのです。
ただの傍観者ですからね。当事者にはならず、絶対に逃げて安全なところにいたい人間ですからね。

ただ、今後はもっと多くを学び、わかりやすい情報にのみ飛びつくこともしないで、まずは、良き証人になりたいと思います。
というわけで、きちんと情報を受け止めて、各人やれるだけのことをやりましょう!と言いたいのです。そして、なるべく他人の批判はしないようにしたいです。

We may not have the power,(私たちは無力かもしれません)
but we can be witnesses.(でも、証人にはなれます)

今、直ちに道で撃たれそうになった親子を救うことは出来ないですし、
お医者さんが蘇生をしたけれども、生き返らなかった気の毒なお子さんのニュースを涙を流しながら見ることしか出来なかったわけなのですが。

第二次世界大戦時とは違って、多くの情報(正確なものも間違ったものも)を得られる現代です。
インターネットで、今年1月1日の世界地図を閲覧し、プリントアウトすることは可能です。(プロの製図の方なら、正確なものを出せるはずです)


たとえ何万の戦車が通り過ぎようとも
たとえ何百万の爆弾がさく裂しようとも
たとえウクライナ人が一人残らず一時的に退避しても
侵略してきた軍が、他国の国旗を掲げようとも
国境を変更しようとも
ITとか、AIで瞬時に正しい国境を是正できる時代なのです。

もちろん、しばらく実効支配はあるかもしれません。
でも、
『武力で書き換えた国境線は正しくない、無効なんだよ』と世界司法裁判所か何かで裁定し、正しくしてもらいたい、と思います。
かつての時代よりもっと、世界中の人々が身近になり、平和を求めて少しづつでも改善してきた第二次世界大戦後の数十年を無駄にして欲しくはないのです。
世界中の人々が証人になり、
『強者がルール違反で勝てる時代は既に過ぎ去った』
ということを、思い知らせてあげるしかないんです。


『いや~、嫌がらせの侵攻をかなり頑張ったかもしれませんが、無駄でしたねぇ、、』って、面と向かって言うと、悪口になってしまうから控えますが。
戦車も弾薬も、最終的にはただの無駄な浪費でしかない、というルールを確かなものにしないと、とにかく一番怖い兵器をたくさんお金で買って軍備増強したもの勝ちになってしまいます。

今すぐに懲らしめることの出来る人がいないのか、
ウクライナの人々に徹底抗戦だけさせているので気の毒なのですが。
(万一、全員逃げても、絶対にウクライナの国を保全する、そのために武力による実効支配は無効の裁定を出しますと確約し、時間はかかってもウクライナの国にウクライナの人々が平和に帰っていけるような手立てを真剣に考える、アホみたいな発想しか出てきませんが、自分も真剣に考えたいのです)
(軍備も送れず、助けにも行けず、ただ、安全に逃げてとだけ安易に言うのも、なんか失礼な気がします)

せめてただの傍観者よりも、一人ひとりが歴史の証人として。
せめて第三次世界大戦にならないように、
少しでも多くの命が無駄に理不尽に失われないように、
第二次世界大戦の時よりは、世界は平和のためにより良い選択肢を選んでいったのだ、と次の世代の子供達へ言い残せるようにしたいです。







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