あんまりあつかましくしていると嫌われる話、でも大丈夫な話

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このココナラブログで「人にあつかましくする話」を何度か書いていると思います。もう少しあつかましく出たほうがよいこと。これは、相手が神様だったら際限なくあつかましくできるのでしょうけど、人様にあつかましくするのには限度があります。あんまりあつかましくしていると嫌われるのです。

友人から縁を切られることが何度かあります。とても親しかったのに、電話に出てくれなくなったりする人です。なにが原因かはわかりません。しつこくし過ぎたことが原因ではなかろうかと思います。これはしかたのないことだと言えます。人に依存するのには限度があります。

東大オーケストラの1年後輩にバカ正直に現状を話すかどうかでとても悩んでいます。皆さんとても世間的に「高い」お仕事をなさっているし、おそらくとても高収入です。さすが東大を出ているだけのことはあります。いまもオーケストラを続けている仲間もおり、とても「(レヴェルの)高い」アマチュア・オーケストラで活躍していたりします。いっぽうで私は世間的には非常に失敗しているわけです。あまり正直に話しても本気で軽蔑される可能性があると思います。住んでいる世界が違い過ぎると感じます。なかなかあつかましくなれないのです。

でも、これで「ひとりぼっち」にはならないだろうという気はしています。単に出会いがあって別れがあるだけではなかろうか。思わぬ親切な人に出会うこともあります。味方だと思っていた人がとんでもない敵であったという経験もたくさんしてきていますが、たまに逆があります。つまり敵だと思っていた人が味方であるケースです。たしかに後者のケースのほうがずっと稀ですが、そういう人もいるわけですし、一概に「そんなにあつかましくしていたら、みんなから嫌われて、最後にはひとりぼっちになっちゃうよ」というふうには言えないのではないかと思っています。

そもそも私は好かれようと思って好かれるタイプではないのです。だったら好かれようとする努力は無駄なのであって、嫌われることを気にしないで生きるしかありません。多数派に支持されるタイプでないのもわかっています。少数の強力な「信者さん」のようなかたに強く支持していただいて生き延びるタイプらしいことがわかってきています。最近、両親からも見捨てられて、46年間、信じて来たものがことごとくひっくり返る経験をしています。生まれてから今日まで、ずっとこれこそが正しいと思って来たものを根本から疑う必要があると思っています。

できることとできないことの差が激しく、「こんなこともできてすごい」というのと「こんなことすらできない」というのとの両極端の評価を受け続けた私です。人の評価とか、できる・できないで見るというのはやめたほうがよいと感じます。これは感覚的な問題であるというより、かなり現実的なものの見方です。人の意見も参考にしつつ、最終的には自分のことを自分で決めていく。それでいいだろうと思います。
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