「わかりません」「できません」と言いましょう

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小学生に算数を教えていて思いました。もしかしたら、子どもにとって、「わかりません」というのが禁句なのかもしれない、ということです。そのお子さんは、決して「わかりません」と言わないのです。そのお子さんは「わかりません」と「言わない」のではなく、「言えない」のではないか、と思ったのです。

私は発達障害です。「自閉症スペクトラム」と「注意欠如多動性」の診断がくだっています。あるとき医師から「『できません』と言ってはならない。『できません』と言うと、言われたほうは開き直っているように聞こえて、カチンと来るから」と言われました。内心、厳しいなあと思いました。しばらくたって、このアドバイスは聞かなくてよいことをだんだん理解しました。そもそも「障害者手帳」というものそのものが「私はできない人ですからどうぞ助けてください」と言っているようなものです。障害者から「できません」という言葉を奪ってはいけないのです。その医師は精神科医としては例外的に良心的な名医で、薬も診断書も抜群の腕を持っていますので頼っていますが、少なくとも人生観は合わないことを理解し、以来、人生相談みたいな内容の診察はスルーしています。

かくいう私も最近「できません」が言えなかったときがあります。私は障害特性で「インターネット検索が極端に苦手」です。私は「空気が読めない」ですが、どうも「検索」って、空気を読む要素が何かあると考えられます。ですから「わからないことは人に聞く」という作戦で乗り切っています。そんな調子で、わからないことを聞いていたら、ある人から言われました。「そんなに人に聞いてばかりいないで、少しは自分で調べなよ。ネットにたくさん出ているのだから!」。このとき私は「それはできないのです。私がネット検索できないのは障害特性です。だから人に聞いているのです」と言えなかったのです。それを言ったらブチ切れられる気がしてしまって言えなかったのです(考えてみるとそういうことは言わない人でしたけど、とにかくとっさに「できません」が言えませんでした)。

「わかりません」についても同様です。私は上述の通り、わからないことは人に聞く作戦で生きています。ある人があるとき「リソース」という言葉を使いました。私はわからなかったので、「リソースってなんですか」と聞いてみると、その人はリソースという言葉の意味を説明できませんでした。また、最近のことですが、出版関係の人からのメールで「紙版」という言葉が出て来ました。この言葉は検索しても出ません。その人に「紙版ってなんですか」と質問の返信を送りましたら「すみません。組版の間違いでした」という返信がありました。このくらい、皆さん、わからないで言葉を使っていたり、間違っていたりするのです。わからないことは聞いたほうがいいのです。

私には教員の経験があります。先生ってなんでもわかっているような「はったり」で教師を務めていることはご存知でしょう?先生だってわからないことはあるのです。私はその前、大学院生として、少しだけ数学の研究をかじっていました。博士課程まで行って本格的にやりました。そこから得られた知見なのですが、世の中には「わかっていること」と「まだわかっていないこと」では、圧倒的に後者のほうが多いという事実です。「わかりません」が言えることは、学問の第一歩だったりするのです。

学校は「失敗しないためのところ」ではありません。むしろ逆であって「積極的に失敗するところ」です。「テスト」というのは「試す」という意味です。「マイクテスト」とか「テストメール」というのと同じです。ですから、試験というのはすべてテストであって本番ではないのです。積極的に失敗すべきものがテストなのです。大学入試すら「テスト」であって本番ではありません。入学してからが本番ですからね。いや、ある意味で、人生のすべてはテストなのかもしれません。失敗してもいいではないですか。「過てばすなわち改むるに憚ることなかれ」(失敗したら迷わず改めよ)でもないと思いますよ。失敗は失敗のままでもいいではないですか。(「きみはクリスチャンだから論語の言葉など好きではないのだろう」ということではないですよ。私は聖書の言葉でも嫌いなものは嫌いです。)

かく言う私がつい先日、「わかりません」が言えなかったときのことを書きましょう。出先でコーヒーが飲みたくなりました。しかし、もろもろの事情で、私はこの20年くらい、コーヒーを飲んでいませんでした。私は、昔からある缶コーヒーを求めて、近くのコンビニに入りました。しかし、そのコンビニには、私にとってなじみのある「缶コーヒー」は置いておらず、この20年間くらいで登場した新型の(とはいえこの20年の間に出たはずのもので、私が知らないだけで新型ではない)コーヒーしかないのでした。そこで私は「これはコーヒーですか。どうやって頼むのですか。どうやって飲むのですか」と聞けませんでした!こちらが客だと言うのに!

かくも「わかりません」「できません」を言うことは難しいのです。もしかすると自分があつかましくなったように感じられるからかもしれません。しかし、わからないことは人に聞き、できないことは人に頼り、助けてもらって生きるというのは人間として立派なことだというのを常に思い出したいと思わされます。誰にも迷惑をかけないで生きる人はいないのです。皆さん、もっと正直に「わかりません」「できません」を言いましょう!
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