小学生の頃から早く家を出たいと思っていた。

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コラム
とりとめのない話ですが
自己紹介も兼ねて書かせてもらいます。

私は日本で生まれましたが、今は海外に住んでいます。
海外には逃げるように来たと言っても過言ではありません。
私は、物を勝手に捨てられ、日記を読まれ、ご飯を作ってくれないような家庭で育ちました。親は夕方から夜までパチンコにはまり帰ってきません。

子供のころから〇〇ちゃん家はいいなぁ、と思っていました。
温かいご飯。
大きな庭付きのおうち。
可愛いペット。
素敵な洋服。
全て私にはないものでした。

祖母が亡くなったある日。
親戚のおばさんの声が耳に入りました。
「あ、お孫さんよ。お兄さんは気に入っているって言ってたけど下の子は気に入らなかったことが多かったみたいよ…」
聞きたくありませんでした。
親からも、祖母からも愛されていなかったなんて。

兄は塾が忙しくて祖母の散歩に付き合う事はありませんでした。
私は祖母と一緒にお花のお稽古に行っていました。
もちろん散歩も誘っていました。

本当に愛されていなかったのか?
今考えるとそんなことはないと思えますが、
小学生の私には十分なダメージを受ける言葉でした。

小学生のころから、インドに憧れて旅行記を読んだり、
地球の歩き方を見ているようなもともと変わった子供だったと言うのもあるかもしれません。

その後から、どんどん内向的になり
高校生では反抗期から親と喧嘩ばかり。
家を出る事ばかり、考えていました。

高校を卒業してからずっと家を出るための資金稼ぎで忙しく
親ともかかわる事はありませんでした。
(はっきり言えば、私が植えていたラベンダーを勝手に切り落としたり、
成人式の着物をそろえなかったり、なんだかんだはありましたが気にしないようにしていました。)

その後、紆余曲折ありながらも家を出て
さらに憧れていた海外に住むことができています。
はっきり言って、縁は切ったといえるでしょう。
なんて親不孝な人間だといくら思われても構いません。
小学生で、魚焼いて味噌汁作ってた時点で親孝行していたと思ってます。

家族って不思議ですね。
夫や子供とは別れたくないなぁと常に思いますが、
母の事となるとノーコメントです。

今では季節の挨拶をメールで送るだけの関係になりました。
私には、それがちょうどよいようです。

最終的にできあがったのは、HSPの鬱病の過去を持つ
結構しんどい人生でした。

それでも自分の夢であったインドへ旅行にも行けたし、
家を出て海外に住むことができました。
今でもしんどい事もありますがなんとか生きています…


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