ひとむかし

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春らしい陽気だったのかかすかにしか覚えていないけど、あの日は早々に仕事を切り上げて事務所から延々と続く道をたどりへとへとになって戻ると、部屋の明かりをつけるやいなや、当時書き留めたものを見つけました:

「東電、JR東日本をはじめ、政府が関係各社の窓口業務を引き受けるべく、奔走している一方で、情報の受け渡し、取り扱いについて、首をかしげる人も沢山いるだろう。

原発がこうした状況に至った以上、メディアに向けたタイムリーで的確な情報伝達、プラント整備に関わる人員や周辺住民に対する万全な安全対策、最低限の物資、衣食住の確保は必須である。

想定外の事態に直面しているにしても、本来想定内に実施するはずの計画停電が計画通りにならないのは笑い話にもならない。民間レベルの節電は言わずもがなのように行っているし、一番冷静に対応しているのはこうしたフツウの生活を送っている人達だろう。繁華街も人影がまばらだ。

地震が発生した当日、品川迄5キロ程度歩いた後、新宿行きのバスの停留所があり得ないほどの文字通りとぐろ状に連なった列の中を2時間ほど待ちわびた末、目の前に着た六本木行きの車両に飛び乗った。
不安そうな関西訛りのご老人が浅草へいきたいとの申し出に、隣に居合わせた人が親身に相談に乗っていた。なにしろ、リアルタイムで更新される運行情報を、両手が塞がれているバス運転手が知る術も無く、ラジオや無線が精一杯。そばに居た若者がi-phoneで乗り換えルート調べたり、刻々と変わる運行情報を運転手がアナウンスしたり、何々番バスに目指すべく、続々と乗客が乗り降りを行った。外の停留所は殆ど寒風に吹きさらしだったが、車中は押し競饅頭、余計な暖房が暑苦しい。やっと、麻布に着いた。
案の定、乗り継いだ地下鉄は鮨詰め、マナーもへったくれも無く、我先と前後左右から割り込み、次の電車を待つまでもなく押し放題。何も考えていない。
そういえば、日本に手厳しい論調で知られる中国の新聞紙が、今回の被災の際に示した日本人の団結力を賞賛している記事を載せていたそうだ。その意見は一理あるかと思う反面、そうではない人が大勢居るのも現実。東京の人は通りすがりに肩が当たっても謝らない、席も譲らない、障害者を手伝う素振りすらない、という意見は地方出身の人から見た印象だろうが、こういう人は大阪にいくらでも見かけるし、六本木で忙しくても立ち止まって道案内くらいする人はいる。良くも悪くも住めば都。類は友を呼ぶらしいが、こんな人達がいて、考えてものの言える人達、(アイデンティー・ポリティックスもいいが、4月10日の選挙に出馬表明した、とある方のあほな発言は失望すらできません)、わけも無くさびしい人達、毎日が日曜な人達。生物多様性ではないが、他人を助ける、それは回りまわって自分をも励ますに至るはず。多様性を維持していくための、絶滅種を出さないための社会インフラづくり。近道、黄金律は無いだろう。あれば、誰かがはるか昔に実行しているだろう。

自然に対してまったく無力なヒトの姿をまざまざと見せ付けた今回の地震、津波、寒波。この中で、「見えない」脅威である放射能は皮肉にも人工的な、ヒトによるヒトのためのもの。現代都市/地方生活とは切っても切れないライフラインである電気・電信電話・ガス・上下水道、そして交通手段が途絶えたとき、これにすばやく応急対処するべく準備はあるかどうか。」

La vida no vale nada
…精神的に参っていたに違いない。
悲壮感すら感じる、ベーシックなインフラ、衣食住の脆弱性がさらされ、パニックになっている姿は、10年後になって感染拡大を防ぐための「宣言」と10年前に実施した計画停電、「見えない脅威」に既視感を覚えます。(「見えない」ということに恐怖を覚えるような) いかに視覚偏重な社会にいることか(後戻りできない)、あたりまえこそが有り難いのは身をもって感じるが、そのあたりまえが見えていない、それが恐怖。特効薬こそないが、少しずつ前に進んでいるのが実感できるのは、どんなに大々的な演出で報道されようが、普通に暮らす人々の力であり、エッセンシャル・ワーカーの恩恵だろう。昨日はWHOがパンデミックと発表してからちょうど1年目だったそうな。眠い … いや前に進んでいるという発想そのものが退行している…
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