後悔先に立たずでも、遅きにしてもやってみる

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コラム
”This is a human error."
ひとがすることに間違いはつきもの。ただ、せっかくそれを防ぐための工程を作っても、誤って導入されていたり、(それを知りながら) 無視したりしていたらそれはそれで間違いのまま。間違いの間違いは正解ではない。え、どこでもやっている?
ペナルティがなければ、変わらない?
値段を下げるよう求める買いたたきとかを除いて、罰則規定は現状恐らくないと思われる下請法について、双方が諸々条件の同意や契約書を交わし、異議がなければ期限終了後も更新というケースが一般的だが、かつ業者に対し仕事の発注に一定期間以上の滞りがあった場合、何らかの罰則を設けるべきだと思う。(それをやると手続きが煩雑になるのは予想されるが、でなければ、ノルマではないが、少なくとも事情をアウトソーシング先に説明する義務を課す) せっかく契約したのに、「仕事を出しますよ」等の口約束、都合のいい時だけ出す風だと契約の意味がないし、メリハリがない。ギブ・アンド・テークがルールなら、そもそものサービス提供とはなんだろう。「ぜひお願いしたい」、「よろしく」、「心苦しく…」、「恐縮ですが」、「お疲れ様」にピッタリ適した訳語がないことが示しているように、それがこれらの人々の「言葉のあや」でわかったつもりだとそれはそれでもうひとつすっきりしない。でもそれをそっくりそのまま自分の胸に手を当ててみれば、如何に独りよがりなのかが分かるよ。相手もそう考えていないとは言い切れない。そんなもんだ。自分が軸。だから己が変わるべき (相手に期待しない)。というどこかで聞いたようなことを今年の座右の銘にしようか…
【愚痴】
政治家の、万全の体制です 調整中 真摯に受け止めます 全力で 迅速に… 再発防止策に取り組みます
→ あまりにも当たり前で言うまでもないし、もう聞き飽きた。何を誰がどのようにいつまでにいくらでそれをするのか、なぜ実践的で肝心なポイントをスルーする?
前例主義を打破すると言い続けながらさほど変わったのかさえもあやしい、立ち直れるような仕組みがないのが日本の社会で、枠に外れた人の見えない障害。わざわざ大勢の店員が一人のお客の相手に右往左往したり、通行人を守っているのか、遮っているのか、どう見てもこんなにはいらない位の警備員が現場にウロウロしたり、欧米諸国と比べた閣僚内の女性の議員数の寂しさ、あら探しをしなくても普通にある風景、ある種の寄り合い。経理上予算を消化する必要がある、というような理由は受け身であまり前向きとは言い難いし、むしろ及び腰で守りに入っているし、離職率を下げるなら上げないようにして、雇うなら積極的な姿勢で人材に投資する前提で、主旨や、基準、目的をもっとクリアにできるはず。一国のトップが自分は聞いていなかった (「あなたが聞いて下さい!」) といって責任を曖昧にする、丸投げで後は知らない、しりぬぐいは下流、こんな非能率ビジネス (失礼!) が慣例である限り、根本を変えない限り、見栄えをごまかした程度。(見た目が大事でないわけないが)どうかこれが絵空事であることを願うばかり。生活に困るふうでもなく、必ずしも必要とも思えない人へのボーナスなんか支給するぐらいなら、wining and dining (を避けるために) の運営のための給付をしてあげて。むしろすすんで辞退する人もいていいのでは。(水面下にはきっとたくさんいることでしょうと思いたい)  

2回目の宣言

連邦議事堂で起こった暴動が静まりつつある中、かたや時短営業や自粛でもおとなしく要請に応じるところは受け入れ、暴動の兆しさえ見せないのははたしてどうなのか。物分かりが良い、ひと安心だなんて言っていられる? 民度云々ではなく、メディアのあおり、風潮、常識や考え方の変化でどう転がるかは分からない。暮らしは十二分に欧米化し、価値観は細分化、公共、企業サービスはキャッシュレスで効率化されても、人々の不満は募らない、暴動が起こらない、自警団がいないままでいいと言い切れるだろうか。暴動より「普通」なことへのおごりや慣れが怖い。起こってからではもう遅い。緊張がゆるんでいるといっているようではまだまだ「ゆるみ」という危機感が足らないかな。ネジそのものを変える位の気持ちで。
No use crying over spilled milk

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