評価の対象じゃないだろうけど、出社してなんぼという話

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コラム
If our ability to see detail in a woman’s face is magnified by our visual habits, our ability to see complexity in a woman’s story is diminished by our reading habits. 
----- The male glance: how we fail to take women's stories seriously
高解像度のディスプレーでなくても、男性の中での女性を見る視線は画面を見るときの癖や習慣によって条件付けされているという。女性でさえ、知らぬまにその男性的な視線で対象を見つめていることさえあるそうだ。
視線の導線とウェブサイト広告の設計との関係 (紙はZ型、WebはF型) というのは、どうなんだ? どこまでが「自然な」視線の動きで、どこからが効率的な情報収集する上で「習得した」動きなのだろう? という疑問は、生得的な要素と後天的に学んだ要素の違いや境目、自然v文化、意識v無意識など枚挙にいとまがない。白黒ハッキリつけたいのがヒトの性なら、性も持って生まれてくるのでは必ずしもなく、後で成る (become) とかの著名な思想家がいったような、またかつてのモヤモヤがもどってくるようだ。すべて自粛ムードのせいにしたくはないが、棚卸しする余計な?時間がこうした記憶の彼方に追いやっていたものに振り向かせるのか。考えても結論が出たら終わりだし、そもそも出ないからこそ考えたくなるもの。
で、上のタイトルは**駅の朝の出勤風景を眺め、人と会わなきゃ始まらないような仕事は言わずもがな、どれだけ感染者数が爆発寸前かのような勢いで増えようと、ステイホーム、外での飲食自粛を必死で訴えようが、何だかんだ満員電車にもまれて、大勢で横断すれば怖くない、というかたくなとは言わないが、何気ない癖や習慣は過小評価できないし、簡単には変わらないものと感じたところから。同じところに勤めて何十年という人はリスペクトするし、誇るべきこと。見方で変わるもの。
ここ数年で世の中は確実に劇的に変わっているし (仕事も偏ってきているし?)、資源や土地開発をし尽した挙句、CO2を吸収する森林が失われたことからもたらされる気温の上昇・蓄積によりグリーンランドの氷河が解ける速さはますます増し、海面上昇、異常気象、ヒートアイランド現象という風な心配をしている暇を惜しむよりは、ローン完済のための稼ぎではないけど今の仕事の方が大切。もっともだ。
でもそれでほんとうにいいの? 人生三ケタまで生きたらどうかと思うけど、せめて次世代の幸せにつながるような大事なメッセージを伝えるべきではないか。それは男性の視線をいかにブラウン管の時代に巻き戻すのではなく、女性目線でいかに男性の導線を超高解像度カメラで読み解き、目線という情報、或いは情報という目線を解きほぐしていくかにかかっている? (というこの目線自体をまず疑うことからはじめよう) 返済期間は終わっても、これは終わりがないからこそのメッセージ (という題名のハリウッド映画が意外と面白かった)
おろそかにできないとっているほど暇がないからこそ「神は細部に宿る」
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