「『孤独』のススメ」~「孤立」とは違う「孤独」という生き方~

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コラム

今、日本を覆っている閉塞感の正体は「同調圧力」だという。

それが現代の日本人を息苦しくさせているのは確かに間違いないだろう。

集団行動を強制された学校生活のことを思い出すと、とても納得できる。
服装から髪型まで細々と指導され、やれ靴下は白でないといけないとか、やれスカートの丈は膝下何㎝、とか色々言われる学生たちは本当に可哀想だ。

なぜあんなことを言われなければならなかったのか。
人と同じことを同じようにすることが良しとされ、その基準から外れた者は厳しく排除される。

学校というのは考えてみれば、極めて閉鎖的な、言わば宗教めいたところがある。
あの中にぎゅうぎゅうに閉じ込められた学生たちはお互いの距離感も掴めず、その中でいじめが起こるのも、まあ道理と言えよう。

人と違うことをする者は強く同調圧力をかけられる。
新しいことを始めたり、奇抜なアイディアを実行しようとしたりするときだ。

そうやって突出した人間を潰す同調圧力が、日本をこの30年、停滞させてきたのだ。
群れる人たちにとって、群れから離れて我が道を行く人間は些か奇異に見えるし、気に入らなかったりもするのだろう。

孤独な人間は、「ぼっち」というレッテルを貼られ、寂しい人、変人、などと言われる。

しかし、私たちがなるべきは「孤独」な人間である。
孤独は人を強くするし、孤独でないと人はものを深く考えることができない。
孤独は自分の内面と向き合ういい機会なのだ。

群れから一定の距離を置き、自分の頭で考えることが大切である。
孤独な人は決して嫌われているとか、仲間外れにされている訳ではない。
孤独、という言葉も悪くはないが、言い換えれば「孤高」であることが私たちに本当の自由と自立をもたらしてくれるのだろう。

集団で群れることはこの災害の多い日本という国で民族が生き残る為に発達してきた習性と言える。
災害時に規律や規範からはみ出た行動を取る者がいたら、民族の存続に関わる事態を招きかねないのだから、それも当然のことであろう。

しかし、私たちは群れることを辞め、孤独な人間を目指さなければいけない。
変革や進歩の為に、孤独になることは欠かせない要素なのだ。

孤独な人間を目指し、本当の自由を手に入れよう。




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