ブログで考えやノウハウを公開する事にしました

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今日からココナラブログを始めることにしました。
水無月と申します。
外資系企業の専門職で部長をしております。性別は女性です。

ココナラで2019年6月からビデオチャットのサービスを開始して1年半が経過しました。
サービスの内容は、主に下記の2つです。
・仕事の悩み相談
・転職面談トレーニング(日本語・英語)
有難いことに多くの方からご購入を頂き、また高い評価を頂いております。

数年前から、自分の経験が多くの方の役に立つような支援がしたい。と考えるようになりました。
仕事で出会える方には、もちろん多くの形でアドバイスをしていましたが、仕事以外の世界でも同じようにサポートをしたい。と考えココナラでサービスを開始しました。

これからは、ブログでも仕事で悩む方や転職を考える方のお役に立てるような情報を発信していきたいと思います。

今日は私が大学でどのような就職活動をしたのかを書いてみようと思います。
私が仕事を開始したのは25年以上前です。大分前ですね(笑)
バブルが崩壊した直後でした。このため就職活動をしても内定が出ないのが当たり前の世界となり、多くの先輩や同級生が苦しむのを目の当たりにしました。
大学生活4年間で、内定が沢山出て選び放題だった先輩の年と、100社以上にエントリーしても内定が出ずに、就職浪人をしたり大学院に進んだ人が沢山いた年がありました。世界が一変した、まさに天国と地獄を目の当たりにした4年間でした。
第二次ベビーブーム世代でかつ氷河期世代のど真ん中でした。今となっても仕事で苦労されている人が多い世代です。
その後もリーマンショックやコロナウィルスによる就職危機は何度かありましたが、当時の就職状況は本当にひどいものでした。

多くの企業にエントリーして集団面接や複数回の面接を経て一つの企業を選ぶ。それが当たり前の時代でした。今でも多くの方は同じやり方で就職していらっしゃると思います。

そんな中で、私は一般的な就職活動を一切行いませんでした。
その理由は「やりたい仕事が出来る最短の道を選びたかった」から、です。

大学に入ったとき、私がやりたかったのは別の仕事でした。その仕事は専門性が高いだけでなく、その仕事に就ける人もとても少ない、狭い道でした。
私が住む都道府県で正社員の採用者が1人程度という狭すぎる道でした。
採用される人数を知った時に「この仕事をしたいとはいえ、経済的に就職浪人やパートでの就職はできない。他の道を探すしかない」と考えました。
私の年の同じ学科でその道を選んだ人で、正社員として採用された人は1人もいませんでした。夢を叶えるためにアルバイトやパートという道を選んだ人もいましたし、大学院に進んだ人もいました。

自分のやりたい道が閉ざされた時、今考えるとあれは自分のターニングポイントでした。
私は何をやりたいのか。まったく白紙でした。他の道を考えたことがなかったからです。考えが浅いと言われればその通りだと思います。

その時私が導き出した答えは、自分の母親がやっていた職種(専門職)をやってみよう。という、これまた安易な答えでした(笑)

私の母親はワーキングマザーのはしりで、子供が居ながらずっと働いていました。転職は何度かしていましたが、専門職だったこともあり仕事が途切れずに、70代後半となった今でも働き続けています。

母親と同じ職種なら、私もずっと働き続けられるのではないか。と考えたのです。ここでも安易ですね(笑)
私が一般的な就職活動をしなかったのは、専門職として働ける会社に直接応募しようと考えたからです。

大学生が行う就職活動は「入社したい企業」を選ぶもので、職種が選べないことがほとんどでした。今でも多くはこのパターンでしょう。
私はやりたい仕事が決まっていたので、どこに配属されるか分からない就職活動を、しかも就職氷河期の当時に行うのはあまりにも非効率です。

その専門職には資格がありました。
そこで大学卒業後にその資格の勉強を夜にできるように、残業がない会社で事務職、しかも専門職に近い業務が出来る会社を探すことにしました。

当時はネットはまだない時代ですから、転職情報誌を買って、私の希望に叶う会社に直接応募しました。
時期としては4年生の2月ごろです(笑)
ほとんどの人は進路が決まっているか、就職浪人するか、大学浪人するか、大学院に行くか。という状況で、一人焦る事無くやりたい仕事に就くために、転職情報誌で「初心者OK」の会社に応募しました。
当時応募したのはわずか1社です(笑)
1社目で内定をもらえたので、そのままそこに4月から就職しました(笑)

今から考えると、裏道というか、一般的な正式なルートではなかったことは間違えありません。
ただ、当時から迷いはなく、自信も何故かありました。
母親の背中をずっと見てきたからです。きっと私にも同じ仕事なら出来るだろうと思っていました。

結果的に他の多くの同級生と同じく、私も大学卒業後に無事社会人となることができました。
新卒採用という道を選ばなかった事は、私の中でも大きなポイントとなっています。

そしてそのおかげで今の私があるとも思っています。今までのキャリアを築くことが出来たのも、ずっと周りの人とは違う道を進んできたからです。
結果的に氷河期世代でも社会人として就職し、専門職としてキャリアアップを続け、今は部長をしています。

年収は新卒時から比べると約5倍です。最初が大卒新卒としては少し低かったこともありますが、女性で私の現在の年収を稼ぐ方は1%以下です。
まだサラリーマンとしての終わりまで10年以上ありますが、自分としては成功したサラリーマン人生だなと思っています。
もちろん、それは私だけの力ではなく、周りの多くの方からサポートを頂いたおかげです。

人と同じ道ではなく、私の進みたい道を行く。
それはその後も今に至るまで、私がずっと通ってきた道となりました。

「道は自分で作ればいい。」
これを今日の一言としたいと思います。

では、また。
                                水無月





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