おいおい!また経済ネタかい!?と思わないで欲しいのですが、いかにもどこかの偉い経済学者が難しい専門用語を使った「上から目線で解説した本」ではなく、初老のおじさんと中学生、OLとの3人による対話形式なので、非常に読み進めやすい形式です。
人を動かすきっかけという部分での余談
家庭内ではやることなすこと全てお金を要求されることはありません。(逆に食事のたびに妻からチップを要求されたら食卓は殺伐とするけど)家族の絆というか互いの信頼関係があるからでしょう。しかし一歩家の外の世界だと、お金を払わないと人のサービスを受けることはできません。隣のおっさんの家に勝手に入ってご飯を食べたら警察に通報されます。ある意味、お金が信頼の証になっています。極論ですが、日本国内が家庭のような強い絆で結ばれた関係ならお金って存在すると思いますか?ボランティアは「誰かの役に立ちたい」から無償で手伝うわけで。もし災害で日本全体が危機的状況(日本沈没とか)になったら、無償で食料を分け合う世界になるかもしれませんね。
2.お金で解決できる問題はない。2023年現在、食料品の原材料やガソリン価格が値上がりし、インフレ傾向にあります。それは国民のお金まわりがよくなり、需要が高まって価格が上がるディマンドプルインフレではなく、輸入物価の高騰によるコストプッシュインフレです。ヨーロッパや中東で起こっている戦争がその一因です。輸入物価高騰で食品が値上がりする原因は、日本の自給率の低さでしょう。自ら自給率を下げる政策を進めているのが日本政府です。幾らお金を積んでも生産者がいなければ自給率の問題は解決しません。
海外から輸入すればいいやん!という浅はかな人もいますが、確かに現在の日本は対外純資産が豊富にありますが、いずれ資金が底をつき、外貨建て国債で資金調達をし続けると、財政破綻の危険も出てきます。外貨は国内で印刷することはできませんから。お金には価値がある、お金で何でも解決できるという思い込みが招く望まぬ末路かもしれません。
3.みんなでお金を貯めても意味がない。昔(1960~1980年代)は、年始はスーパーや量販店は営業していませんでした。年始は休むものという世間全体の規範だったのかもしれません。早速貰ったお年玉で欲しいものを買いたくなっても開いているお店がありません。90年代以降は、年始のお年玉セールのように元日から営業するお店が増えたのは貨幣経済が発達したおかげでしょう。
先ほどの例で、いくらお年玉(お金)があっても営業しているお店がなければ、その段階ではお金に価値はないと言えます。価値を発揮するのはお店が営業を始める1週間後でしょう。
別の例で、将来に備えてしこたま預金を溜め込む老人がいたとします。しかし昨今の少子化が加速していくと、労働者が減り経済が縮小傾向になるかもしれません。次第にお金の流通も減り、必要なお金が一部に偏り、貧富の格差が拡大します。水の出入りのない溜池の水が徐々に澱んでいく様と一緒です。
みんながお金を貯めることだけに必死になって、「お店が営業を始める1週間後」がなければ永久に財は止まり続けるでしょう。そして財の価値は無くなるという結末に。
将来が不安なご時世、個人個人はお金を節約して必要最低限な支出に留め、合理的な生活をしますが、経済全体では「個々の需要が減ること」で景気の悪化を招きます。
ミクロの視点での合理的な行動がマクロ社会全体では不合理な事態を招くことを
「合成の誤謬」といいます。
個人が貯めたお金が紙屑にならないように、誰かが不合理な行動を行こさなければなりません。それができるのは政府です。国家は家計とは違い、貨幣を発行する立場ですから。政府が率先して不合理なこと(不況時における積極的な財政政策)を行い、経済の血液と言えるお金を流通させ、供給能力が毀損されないようにしなければ日本には未来はないかもしれません。
今回の締め