40代で億万長者になった偉人

記事
マネー・副業
皆さん本多静六という歴史上の人物に心当たりはあるでしょうか。建築学を学んでいる方にとってはなじみのある方かもしれませんが、約150年前に生まれた日本の造園技師です。明治神宮や北海道の大沼公園、福岡の大濠公園といった日本の大北公園の設計を手掛け、公園の父と呼ばれた男です。
彼の生まれは地方の農村出身で消して恵まれたものではありませんでした。9歳で父親を亡くしてからは多額の借金を抱え、農作業に明け暮れました。それでも苦学し、東京農業大学(現東大農学部)を首席卒業。
倹約と投資法を駆使しながら40代で現在価値100億円超の資産を築くことに成功しました。
今回はそんな本多静六の投資方法について触れていきたいと思います。
倹約が第一の天引き貯蓄法
本多氏は社会に出てからは公務員として母校の教鞭をとっていました。そのため、公務員としての収入はさほど望めない状況にありました。そんな中でも彼の残した資産形成法は下記です。
①4分の1天引き貯金
②二割利食い、十割益半分手放しでの長期投資
①の内容に関しては非常にわかりやすく給与の2割から天引き貯金をするといったことです。天引き貯金を続けていくと少しずつ貯金から利益が生まれます。その利子を収入としてやはり月給と利子の4分の1を貯蓄し続けます。
それでも4分の3に関しては生活費に回ることになるので生活が楽になっていくという算段です。現代では預金ではなかなか利子がつかないので、債券や株式、投信等の配当収入を使うことになると思うのですが、あえて序盤の時期に貧乏をすることによって将来的な貧乏を回避しようとするのが本多流です。
本多は現金が付き、子どものご飯のおかずがごま塩のみになったとしてもこの天引き貯金はやめなかったそうです。
②の内容に関しては先物取引を活用しながら様子を見るという手法を活用していました。もし2割の利益が出たら利益確定します。2割の駅が出ずに長期保有することになった株も長期保有し、暴騰があったタイミングで半分を売却します。そうすることで大損を防ぎ、虎の子の資産を維持しながら利息を付けていったのです。
本多は鉄道株や山林から投資をスタートさせ、ガス、ビール、銀行といった30種ほどの業種の優良株を持ちリスク分散を図りました。1点集中をすれば当たった際には大きいですが、資産が大きくなればリスクをヘッジすることにこそ注力が必要です。
その後の本多氏は
1927年に彼は定年を迎えたタイミングですべての財産を匿名にて寄付しています。その後も書籍の執筆をつづけ370冊もの著作を残し1952年に85歳の生涯を全うします。人生即努力、努力即幸福の格言を残し、努力し続けた彼の姿勢は私たちの時代にも未だ作品を残し、学びを与えている原動力に違いありません。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す