愛、果実、喜び、幸せを味わうこと 1

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占い
  様々の今までの占いの技法や霊聴の話も実はその本質は、ここの表題に書いていることに尽きる。愛する人と巡り合い、信じあい、そのひと時を共にする。お互いにおいしいと感じるものをいただき、おいしいと感じあう。楽しいところに行き、コンサート、遊園地、観光地を巡ってお互いに驚き感動すること。そしてこのひと時が幸せだと感じることである。
 それは、人に強制されることではなく心の底から湧き上がってくることだ。だから大切なことだ。すべての人間関係の苦難を超えて頑張るのも、つらい仕事をするのも、何やらわからん勉強をするのも、その幸福感のためだろう。また幸福感なく生きている人は冷めて暗くなっていく。
 何のために人として生まれてきたのだろうか。
 つらい仕事をして、汚れた世界を見て、残酷な仕打ちをしあうことだろうか。
 だから人を幸福にするのは、美しくて、おいしくて、優しく愛し合える関係に浸れる目標がないと、その動機も希薄でどうでもよくなり、希望も期待も希薄になり、ひいては魅力もなくなっていく。
 歓喜天が抱き合って喜ぶように愛を喜び、美しい世界を見て感動する生活をお勧めする。
 もちろん美人美男だけが歓喜の愛を味わうものではない、動物園から逃げた二人のようでも幸せだ。アルパカみたいな彼、カピバラみたいな彼女、と思えばとてもかわいく愛らしくなってくる。何もマスゴミのグラビアに刷り込まれた美人美男の価値観に振り回されることなく、クラゲのような骨のない彼も魅力的と思えばそれで幸せだ。
 ゴルゴ13のように殺りまくっても、表情動かさなく書いているが、内心はやったぜーと踊りまくる心でないと仕事は続くまい。
 藤岡弘氏は仮面ライターの最初の人だが、居合の流派の継承者でもある。彼が作った居合のビデオに、「妻を愛し、子を愛し、家族を愛し、周りの人を愛しひいては国を愛する。・・・」それを実践するための武道として己を鍛える(納める)と表現なさっておられる。
 ま話の納めどころとして安くなるかもしれないが、変態仮面がパンティーかぶってエクスタシーといって怪力を出すのがその極端なたとえになる。彼はパンティーであればまあはいた人の細かいことは大きな問題ではなさそうだ。ゴリラでもイボイノシシでもトドのパンティーでも行けるのだから、他人や親兄弟からこれがお前が幸せと感じることだろうなどと押し付けられた幸福に浸らずに、自分の好みのスカンクのパンティーがいいならそれで幸せを感じると居直ればいい。
 このエクスタシーに会えなかった人は愚痴っぽく否定的で虚無的であることが多い。
 そんな時はすこしずつ、おいしいものを食べる、公園に行って美しい花を見る、水族館できれいな魚を見る、イルカやカピバラ、ヤギ、ヒツジ、牛など触ってみるなどして自分の幸せ感覚を少しずつ解きほぐしていくことから始めてみることがおすすめだ。

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