自分は間違うかもしれない

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コラム
自信がないわけじゃない。
自分の決めたことに不安はない。
それでも、「自分は間違うかもしれない」と思っている。

いや、おそらく何回かは間違える、と思っている。

若い頃はそうじゃなかった。
間違えないように、慎重に物事を進めていた。
それでも間違いはあった。


今はというと・・・
自信を持って決めながら、同時に「間違うこともある」と思っている。
でも、「間違ったら修正すればいい」と思っている。

そのために周囲の人にはこう言っている。

「何かおかしなことやっていたら、言ってください」
「私は間違うかもしれないから・・・」

「それなら間違えないようにもっと真剣に取り組め」という意見もある。
これも確かに必要なことだと思う。
でも、「間違いでは」といつも不安を抱えるよりは気楽だ。

もちろん、人によってその対策は違う。
私はそうしているということだけだ。
でも、その言葉のステップを踏むことで相手は私の間違いを指摘しやすくなる。私も相手の話を素直に聴ける。
自分のひねくれた自尊心を承知しているからそのための自分対策をしている。


「人間関係がうんぬん」と言うけれど、一番厄介なのは自分だ。
それが分かっているから、自分対策を心掛けている。

悩んだとき、「心が弱い」と思わなくていい。
悩むのは当然、何度も迷うのも当たり前だ。

直そうと思わなくていい。
ただ、その時の「自分の心に対処するライフスキル」を持ってればいい。



そして、こんなことにも気をつけたい。

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人は誰でも間違います。

ところが今は、間違いを許さない社会になっているようです。
だから、間違いやミスが封印され報告されない社会になっています。
間違いを認め直す、よりも間違いを「間違いではなかった」と
ミスを正当化するような社会になっています。

自分は間違うかもしれない
他人も間違うかもしれない
そして、間違ったら素直に修正する。

そんな寛容な世の中は無理なんだろうか?
効率を重視して、スピードを気にして、どこに向かっているのか?

誤魔化し続けた「間違い」は消えることはない。
いつか大きな波となって振りかかってくる。

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