そうだ、怒りは心に盛る毒だった

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コラム
生きていれば怒りを持つことはいくらでもある。
「怒り」というような腹の底からわき出るものから、考えてどんどん集まってくるイライラもある。

ひとりの部屋で矛先を失った怒りを持つことがある。
でも、その怒りの多くは自分が育てたものだ。

嫌いな人のことを想像して、頭の中でその姿を大きくしている。
世の不条理にせっせと水を注いで、怒りの芽を自分で育てていることもあった。

分かっているのにやめられない。
だから同じことでも何度も繰り返す。


そんな自分を責めるのはやめよう。
自分の思いのクセだから「もう直らない」とあきらめる。

そして…

怒りに気づいたら思うことを止める。何も考えないときをつくる。
ただそれだけ。

止めたことで現れた心の隙間は、そのままでは不安定だ。だから楽しいことを想像してその穴を埋める。甘いケーキでも思い浮かべばいい。

便利なことに、人は怒りと快楽を同時に持つことはできない。笑いながら怒る人はいない。

他人の言葉のように外から持ち込まれる怒りもある。
そんな時は、水に書いた文字の様にさらりと流して受け取らない。「水に流す」をこんな時にも使いたい。
相手が渡そうとした憎悪の言葉も、私が受け取らなければ相手は持って帰るしかない。意地悪い相手は、渡そうとした毒に今度は自分が苦しむ。


「怒りは心に盛る毒」だと思う。

毒はやがて身体を蝕む。冷静な判断も出来なくなる。
何ひとついいことは無い。

怒りの原因を理論的に追究することも大切だろう。
でもその前にこの言葉を思い出して欲しい。

「怒りは心に盛る毒」だった。

それだけで心は落ち着きを取り戻す。



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