「べき論」からの解放

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「水は天然水がいい」
「電子レンジは身体によくない」
「○○が身体にいい」
「朝活で意欲的に行動する」

これがいつの間にか、「○○すべき」「○○はよくない」に変わる。

「天然水しか飲まない」
「電子レンジは使わない」
「身体によくないものは一切食べない」
「向上心の高い人と付き合うべきだ」

「○○したい」から始めたことが、「○○すべき」に変わる。

でも困ったことに、旨いものは大概身体によくない。それでも「決めたことだから」と、自分と他人を縛っていく。「頑張れ」と自分を励ましていく。

でも、張りつめた糸はいつか切れる。


こんなことに気づいたら、「なれない自分」「だらしない自分」を認めてあげること。明らかにしてあきらめること。きっと周りにいる他人も同じような気持ちでいる。向上心がいつの間にか我慢大会に変わっている。

そこまでして、一体何を目指しているのか?

健康で長生きできる身体は確かに欲しい。でも病気に掛かることもなく過ごした過去は、当たり前の事実となって積み重なる。そこから感謝が生まれることはない。

「朝活」がブームとしてのファッションになっていないか?

Facebookの写真は、その人の思いっきり着飾った姿であるのに、日常と勘違いし嫉妬感が生まれ他人になろうとする。


「○○したい」が「○○すべき」に変わった時、そこに本当の自分は存在しない。

始めることは必要。スタートが憧れであっても構わない。でも楽しくなくなったら、それは自分と合わないということだ。


囚われから自分を解放させてあげればいい。




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