私は、私のこころを攻撃しない

記事
コラム
こういうブログを書いていると、何か完成している人に思われがちです。

でも全く完成されていない。
「完成された姿」におびえつつ、感性で生きているようなものです。

他人よりも多くのものを感じることもあるようです。
「そんなこと気にするな」と言われても、どうしても心の中に錆びたような嫌な感覚がいつまでも残ります。


他人の言葉や行動で嫌な思いをしたとき、いつまでも残る嫌な錆びたような思いは、他人の言葉や言動だけでなく、自分が反応した言葉や行動です。

「なんで、こんなことを言ってしまったのか」
「だからダメなんだ」
「いやだ」
「嫌いだ」

と、いつまでも後悔と嫌悪感が残ります。
そしてその後、必ず「私はまだまだ」と自己嫌悪に陥る。

この時、もう嫌な言葉や行動を起こした他人には関心はなく、自分のことばかり考えています。
「人の振り見て我が振り直せ」と言えば立派に聞こえるが、実は自分のことしか考えていない。

他人に向けた嫌悪感が、いつの間にか自分だけに向けられている。

自分を攻撃している。

その攻撃の理由は、やっぱり、自分が一番大切、かわいいから。

でも、これらすべてを、自分の気持ちすべてを受け入れようと思う。
赦そうと思う。

私は完成された人間ではない。
それを隠さない。失敗も多いし、腹も立てば、人の悪口も言う。
でも、自分を攻撃した結果の自己嫌悪感は減らしていきたいと思う。

完全になくすことはなかなかできない。
でも、今日のように自分の自己嫌悪感を敏感に感じることはできる。
それが私の特長かもしれない。


自分で自分の心を攻撃しない
私は、私のこころを攻撃しない

そして同時にすべきことは、他人が起こした行動や言葉に対する反応だ。
冷静に、静かな、丁寧なゆっくりとした言葉を使って自分の考えを話す。
後は相手次第で、判断は相手に任すしかない。
この部分は、心ではなく認知の脳で論理的に話すようにしたい。


軽やかに生きるためにもスキル(術)は要るようだ。



サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す