感じてた違和感を無視した結果①

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コラム
昔、ちょっと信心をしたことがありました。
目に見えない部分を信じられ
今に生かされていることもたくさん。

でも逆に苦しくなってしまったので、15年ほどして辞めてしまいました。



20数年前、長女が産まれ、その2年後次女が産まれました。

子どもが産まれてから
もちろん可愛いけれど …
自分がお腹すいてても
ゆっくり湯船につかりたくても
1人でのびのび朝まで寝ていたくても
それはワガママだよねって
その心を旦那にも誰にも言えずにいて…

子どもに授乳したり
オムツ替えたり
毎日眠くても泣いたら起きて
振り回される感覚に
可愛いし、喜びはたくさんあるけど
思うようにならず
イライラしつつ
泣かれたら抱っこしたくないという事も実際にありました。

こんな母親失格よねって
我が子なのに自分を優先するのは
ダメな母親よねって、
いつも責めていました。

気付けば私の中のこころは
いつの間にか変わってしまっていた
もう、結婚前の私とは全く別人なくらい自信がなくなってしまって
信心でそんなことは言ってないのに。
今なら分かるけど
信心の捉え方・解釈を間違ってしまっていました。

私の本当の気持ち、自分を抑え心を無視してしまい
人に優しく
人のために…と
(そのこと自体は悪いとは思ってないんだけど)

いつの間にか色んな事を我慢してるとも気付かず
当たり前になり
あまり苦ではなくなり
波風のない穏やかな日々になってはいたけど
気づけば自分の本当の心に気付くことも、
表現する事をやめてしまっていました。

何か自分の中でやろう!と決めると
そうならないと相手を責めて腹が立つから
決めない・言わない
自然と意志を持たないように
気持ちを変えてしまっていました(これも今思えば)

人に合わせれば
楽でいられると。
私のしたいことなど
考えられなくなってしまっていました。

神様や仏様・ご先祖など目に見えないものをわたしは信じていますが
大切な部分を受け取り間違えて、自己否定を続けてしまった・・・

そして、ずっと感じてた
何か分からなかったもやもや・違和感を無視した結果
限界がやってきて、離婚になりました。

つづく
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