いつも不安でたまらないないあなたへ 【セッション風】

記事
コラム
こんにちは。Msカルマです。
毎日のように、自分を変えたいと願いつつ、なかなかその一歩が踏み出せないという沢山の声を聞いています。

そんな私もかつては同じように悩んでいました。
今日はあなたとセッションをしているような感覚で、心の内に抱える不安や自信の欠如についてお話ししましょう。

数年前、自己理解を深めるために行った自己セッションをしたことを思い出し、書き綴ります。
この時というのは、子供ことに対して不安を抱えて悩んでいました。
似たような不安を抱えている方や自分に自信を持てない方の気づきとなりますように☘
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おそらく、子供のことでは常に不安を見つけ出すことが多いんだと思う。
これは一種の癖になっていて、気になっていることに目が向くのは当たり前なの。それを繰り返し、繰り返し思い出しては不安になって、力を持たせていることが問題なの。

不安の連鎖、不安だと思っている自分を客観視する必要があるんだよね
「あっ、また不安に思っている」って。
これを常にやり続けていかなきゃいけなくて、「不安になったら自分はどうするんだろう?」って自分のパターンを見ていかなくてはいけない。

誰かにそれを話そうと思っても涙が出て話せなくなるのは、自分が辛くて辛くてしょうがないんだよね。誰かに守ってもらいたくて、一人で頑張ってきたのだと思うから。

起きていることで対処をしてはいけない。
コップに水がいっぱい溜まってしまっている状態。だから、時々人に悩みを話そうとする時に水がこぼれてしまう。涙としてこぼれる。
じゃあ、なぜ水がこぼれるのかというとその下の机が揺れているから。地面が揺れているんだよね。

大元を抑えないで、いくら抑えようとしても、いくらやっても延々と繰り返すことになってしまいます。大元さえ治まってくれたらいいの。
じゃあ、大元って何か?

自分が作り出した不安感なのね。全部自分で作り出しているでしょ?
それで大体皆、「自分のことを知りたい」って言うじゃない?
私は誰なのか?って。やることとしたら、人と比較すること。

だけど、人と比べても仕方ないんだよね。
本当の自分を知るために自分の大きさを知るために、自分より大きいものを入れようとする。小さいものならすんなり入ってしまうから、自分の大きさなんて分からないの。
自分より大きいものを入れようとするときに、初めて自分の大きさや自分自身がどういうものかが分かる。

だから、何か問題が起きた時にどれだけ自分が受け入れられるんだろうというのを物事として自分で用意しているのね。

そうすると自分の事を知りたいのに物事に対して、怒ってみたり、悲しんだり、反応したりするの。
じゃあ、何が問題か?
これを受け入れる自分になったらいい。どんな大きさでも入れることができる自分になればいい。

つまり、物事に対して反応しないこと。変えるのは、自分の器を大きくすること。じゃあ、どうしたらいいかというと、自分が何でも許せる大きな器になればいい。そしたら、どんなに揺れても溢れないから。
寂しかった自分とか、助けてあげれなかった思いを許すしかない。そうすると物事は全てスムーズになっていく。

先ずやるとしたら、会社で嫌なことがあったとしたら、イライラすると思うけど、実は自分が望んでいるということ。自分の大きさを知りたいから。
出来事に対して反応してもいいけど、どうにかしようとしないこと。何か理不尽な事を受けたら、理不尽を受けた自分がいるということ。

出来事によって強い自分でいようとするでしょ?
自分で用意していたんだよね。
そのためには、理不尽な事が必要だったんだよね。そしたら反応しないこと。
「また言ってるわ」って。

一番は理不尽の中に何が隠れている?
不公平だなとか間違っているとジャッジしていることに気づくこと。
本当は不公平なんてないんだよね。

同じ出来事でも不公平と感じる人と感じない人がいるでしょ?
これってどうしたらいいかというと、ジャッジする前の段階、ニュートラルな状況のちょっとした間の事をいうのだけれど、これって思考が止まっている状況でもあるのだけれど、気づくことっていうのがジャッジするギリギリ手前のところ。

気づくことに気づかないようになるとジャッジしていないの。これは体験していくしかないのだけれど。

会社で何か言われたら気づくよね?そして、気づいたってことに気づく。
そしてパッと離れる。
これは単なる客観視とは違うのだけれど、例えば「不公平だ」と意味づけをしようとしている段階なんだと気づいていく。

そこで止まって待っている。それを繰り返しやっているということが
分かってくるかもしれない。そうすると、その出来事は何でもないということに気づき、問題視しなくなる。

自分は不公平な態度を取られるような人ではないという自尊心が傷ついている状態。それを守るために上司を動かして伝えようとしたりする。
これだといつまで経っても自尊心は傷ついたままです。だって、相手がいないと解決できないようだと、いつまでも承認欲求が満たされない。

”私は何を言われたとしても認められているんだし、もう私は私なんだから、何を言われようが傷つかない。”というように自分で認めてあげないといけない。全部受け入れられるような自分になること。
こうしていくことで心は愛と平和で満たされるようになるよ。













サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す