愛を配るには

記事
コラム
愛とは何なのか

人ぞれぞれ、そしてその人の段階によって
いろいろな捉え方があると思います。

今日は、とあるひとつの段階の話。

愛の反対は、無関心だ
という話がありますが、単純に、挨拶するか、せずに通り過ぎるか
とか
ちょっと話しかけてみようか、止めておこうか
というような、ちょっとした人との関わりとして見ることができると思いました。

挨拶するって、
その人をその場所で認識していますよ、わかっていますよのシグナル。
ハートが開いていると、しやすくもなります。
で、挨拶可能なタイミングでするかしないかの判断、決断って、瞬時ですよね。

止めておこうかな を しておこう
にスイッチするための、一押しとして、”愛”も使えると思うのです。

挨拶しても返してもらえないかもしれない、とか
私からするのは気が進まない
義務じゃないよね
というようなストップをかけるマインドの中には
癒されテーマが含まれています。

それらのマインドの妨害なく、サラリと挨拶出来たら、
愛を配ることが出来るんです。

挨拶されると、悪い気はしません。
ああ、私がいるってわかってくれているんだと、思います。
言わなきゃの姿勢で言われる重たい口調より
サラリと軽~く、サクッと終わる方が受け取りやすいです。

それだけで、あなたの相手(世界)を思いやる”愛”が発揮できます。


話しかけてみようかな
もそうです。

もちろん、いろ~~んなシチュエーションがあって、挨拶より難しいですよね。
自分を分かって欲しいとか、
その後の何かに期待する気持ちがあると、
結果が気持ちの良いものになるとは限らないけれど、

相手と交流したい、相手と分かち合いたい
という純粋でシンプルな動機であれば、
相手とのちょっとした会話はお互い気持ちの良いものになり、
愛を配れたことになります。


挨拶だけ…と思いきや
その行為は私たち(顕在意識)が思っているよりずっと響いていて
思わぬところにも好影響をもたらします。
それはたいがい、挨拶直後ではなく、時間を置いて、現れます。

直感で、話そうかな、が湧いた時に
マインドのやっぱり止めておこう…を振り切る一手として、
”愛”を配る、を思い出して、
実行するを選択していただけたら、と思います。

お立ち寄りいただき、ありがとうございました。
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