あー、えー、要するに、要するに

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私:2005年製作の映画『Thank You For Smoking(邦題:サンキュースモーキング)』を簡単に紹介してくれる?

ChatGPT:映画『Thank You for Smoking』は2005年に製作されたアメリカ映画で、ジェイソン・ライトマンが監督を務めました。この風刺的なコメディ映画は、クリストファー・バックリーの同名の小説を原作としています。
主人公はニック・ノーラー、彼はたばこ業界のロビイストとして活動しており、一般的には健康に害を及ぼすとされるたばこを、メディアや公共の場で巧みに擁護する役割を担っています。映画は、ニックがたばこ産業のスポークスマンとして、政治家、メディア、そして一般公衆とのやり取りを通じて、自身の仕事や倫理観について葛藤する様子を描いています。
『Thank You for Smoking』は、社会的なタブーに挑戦し、議論を呼ぶテーマをユーモアを交えて提示することで、観客に考えさせる作品となっています。主人公の魅力的で機知に富んだキャラクターが、複雑な問題に対する一つの視点を提供しています。

私:「ロビイスト」という職業について教えてくれる?

ChatGPT:「ロビイスト」とは、政府や立法機関に対して、特定の業界や団体の利益を代表して影響を行使し、政策決定に介入しようとする人々のことを指します。彼らは通常、クライアントの利益を保護または促進するために、政策立案者や政治家に働きかけを行います。

ロビイストは以下のような活動を行うことが一般的です:

1. **情報提供**:ロビイストは、特定の政策や法律が特定の業界や団体にどのような影響を与えるかについて、詳細な情報やデータを政治家や政策立案者に提供します。
2. **意見形成**:政治家や政策立案者が公衆の利益に沿った決定を下せるよう、意見や立場を形成するのを助けます。
3. **説得活動**:特定の政策や立法に対する支持または反対を表明し、その理由を説得力を持って伝えます。

ロビイストの仕事は、しばしば議論の的となります。一方で、彼らは専門知識を提供し、多様な利害関係者の声が政策決定プロセスに反映されることを助ける重要な役割を果たしていると考えられます。しかし、過度の影響力や透明性の欠如が問題となることもあります。そのため、多くの国ではロビイ活動を透明にし、適切に規制するための法律が設けられています。

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 私の三元論に基づいて考えると、人を説得する際に"餌"として用いられる要素は「物理的要素」「精神的要素」「帰属的要素」に集約されるものと考える。「物理的要素」とは事物(金銭、物品、所有物としての人材等)を意味する。これはもっとも分かりやすい餌であり、これが有効な場合はもっとも単純なよく深い人間に限られる。「精神的要素」とは概念(規範、良識、美徳等)を意味する。ここでは義侠心を持っている者には正義を訴え、野心を持っている者には媚びを売るといった具合に、相手が求めている知的欲求を満たす観念的な餌をまく必要がある。そして「帰属的要素」とは関係(貸借、脅迫、信頼等)を意味する。これはその人物が属する社会や組織の関係性に対して何らかの影響をもたらす"餌"であり、集団からの排斥をちらつかせて脅してみたり、過去の貸しを返して欲しいと願ってみたり、今後の信頼を約束する代わりにお願いを聞いてくれと懇願してみたりと、多様な方法がある。
 この「説得」という行為に関する三要素を基本的な八類型にまとめると、それは以下の通りとなる。

弱い物理的要素・弱い精神的要素・弱い帰属的要素
弱い物理的要素・強い精神的要素・弱い帰属的要素
弱い物理的要素・弱い精神的要素・強い帰属的要素
弱い物理的要素・強い精神的要素・強い帰属的要素
強い物理的要素・弱い精神的要素・弱い帰属的要素
強い物理的要素・強い精神的要素・弱い帰属的要素
強い物理的要素・弱い精神的要素・強い帰属的要素
強い物理的要素・強い精神的要素・強い帰属的要素

 その「説得」を仕事とするロビイストや広報・広告関係者などは、相手に応じて、このいずれかの事項を用いた弁論術を駆使する。現代社会におけるこのソフィストたちは古代ギリシャよろしく利己的な傾向があり、衆愚状態に陥っている羊たち(市民)を都合よく誘導しようとする。本作『サンキュースモーキング』はそうした衆愚の社会と文化をとても軽快に皮肉っている。アーロン・エッカート演じるニックが論戦をあっさりと制してしまうので、対話部分には物足りない点も感じるが、それでも十分に「言ったもん勝ち」の有象無象の弁論家たちにしっかりと剣を突き刺している。
 人間は合理的な生き物であり、感覚的な生き物でもあり、そして組織的な生き物でもある。それらの全ての行動原理を繋げるのが「言葉」である。したがって「言葉」を操作すれば、人間の合理性、感覚性、組織性に対して、良い意味でも悪い意味でも影響を与える事が出来る。その人間の特異な機能を冗談半分に説明している逸話が「化学物質DHMO」に関するものだ。
 化学物質DHMO(Dihydrogen Monoxide)は「周囲に大量に存在すると呼吸困難になる」「固体状態は凍傷、気体状態は火傷を引き起こす」「強い習慣性があり、飲用を止めると中毒症状により絶命する」「台風、豪雨、豪雪などの大規模な自然災害を引き起こす」といった、何とも恐ろしい危険性を有している。もし弁論家が雄弁にこの説明を行えば、DHMOは規制対象の化学物質にすぐ認定されるかもしれない。しかし、実はこの化学物質DHMOとは「水」の事である。水は「水素原子2個(Dihydrogen)と酸素原子1個(Monoxide)の化合物」だから「Dihydrogen Monoxide」という訳だ。何という事もない身近な事物や事象であっても、「言葉」を用いれば人間をどのようにも誘導出来る。冗談ではあるが、教訓的な話でもある。
 ただ、この「言葉」をどうにか上手く使おうとするあまりに生じるひとつの癖がある。それが通称「フィラー症候群(えーあー症候群)」と呼ばれるものだ。フィラー(filler)とは詰め物や充填材を意味する用語。例えば、水漏れを防ぐ為に用いるシーリング剤(洗面台や風呂場にある白いゴム状の溶剤)はフィラーの一種だ。フィラー症候群は会話の最中に"詰め物"のように不要な繋ぎ言葉を押し込む癖で、日本語でよく用いられるのは「あー」「えー」などの母音を中心とした嘆息のようなものが多い。「症候群」という名称で知られているが、これは明確な医学用語ではなく造語であると思われる。
 英語では「Filler Word」と呼ばれている。「Well」「Um / Er / Uh」「Hmm」といった日本語の「あー」「えー」によく似た繋ぎ言葉から、「Actually」「Basically」「You know」といった接続的に用いられる言葉もある。後者は日本語で言うと「要するに」「つまり」といった単語だ。私の知人が勤めている行政機関の同僚にもこの癖が極まっている者がいる。その人は上司や同僚に何かを説明する際、その会話の中のあらゆる場所で「要するに、要するに」という詰め物を挟み込んでしまう。その言葉の後に続く文章がまったく要約されていないので、相手は完全に混乱と困惑の渦に巻き込まれる。最終的には相手の方が悩みながら「それはこういう事ですか?」と要約すると、その人は「そうそうそうそう!要するにそういう事です!」と甲高い声を挙げる。私は知人からこの話を聞くだけで、そのあまりの無能ぶりに吐き気を催してしまう。
 「あー」「えー」「えっと」「要するに」「つまり」といったフィラーワードそのものは別に悪いものではない。一般の人がそれを意識し過ぎるとかえって円滑に話せなくなってしまうだろう。特に知人や家族など社会的距離が近しい者同士であればフィラーワードにはほとんど問題なく、むしろ愉快なキャッチボールの精度を上げる効果すらあるかもしれない。
 しかし、社会的距離が遠い者同士が話す場合においては話が別である。先述の「要するに」の事例のように、公的な環境においてフィラーワードを連発すると、聞き手の理解と集中力が完全に削がれてしまう。それはまるで通信状態が悪い環境でNetflixやYoutube動画を鑑賞するような具合だ。いちいち"読み込み"のクルクルマークが表示されて会話が停止するので、相手は鑑賞に耐えられなくなる。
 日本では論理的能力の欠如した社会的地位の高い人間が、よくこの悪癖を発揮してしまう。特に政治家は記者会見や答弁の現場で「あー」「えー」を連発する。例えば、良くも悪くも"帝国"を築いた故・安倍晋三元首相。彼は税金を用いて様々な組織を私物化した功罪ともに大きい政治家だ。2020年12月、野党から私物化した組織のひとつ(桜を見る会)の会計問題を追及された際、彼は次のような答弁を行なっている。

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安倍元首相:会計処理等が、あー、私自身が、え、知らない中で、え、行われていたこととはいえですね、道義的責任があると、お、考えておりますし、今回の出来事、の反省の上に立って、えー、国民の、おー、信頼を、おー、回復するために、わ、あらゆる努力を、重ねていきたい。
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 予め原稿が用意された演劇答弁であればここまでひどいフィラーワードは出てこないが、彼が自分の言葉で話そうとした際はこのような悪癖状態に陥っていた。この悪癖の原因は先に述べた通り論理的能力(及びそれに付随する身体的能力)の欠如から生じるものであるが、それと同時に「言えない事」「言うべき事」を丹念に頭の中で選別し、何とか会話の主導権を握ろう(話をはぐらかして逃げよう)としているが故に、ますますフィラーの遅延が発生しているのである。
 ただでさえ腕の鈍い料理人が、いちいち店から出てスーパーでひとつひとつの食材を選んで買って帰り料理をし始めているような具合なので、永遠に我々の卓に皿が運ばれて来ない。そして、そのうち我々は自分が何を注文したのかも忘れてしまう。(今をときめくメガネ岸田さんも、結構このフィラー癖が強い。ただ、彼が2024年4月にアメリカ議会で34分間の英語演説をした際はフィラーを一切持たない驚くほど完璧な話しぶりだった。彼はもう日本の国会でも英語を使った方が良いのではないだろうか。あの話し方であれば、まだ彼の言葉を信用できそうだ。ただ、手振りや仕草などの非言語コミュニケーション部分はせっかちな配膳ロボットのようだったので、あれはもう少しゆっくりと大きな輪を描くようなやり方にした方が良い。その方が余裕と自信を演出する事ができる。)
 政治家とは言葉を用いて国民に理解を促す弁論家だ。話し方だけが巧みであっても良い政治家とは言えないが、話し方が巧みな人間は良い政治家の条件のひとつである。したがって、フィラーワード連発の悪癖は職務怠慢の行為だとすら言える。アメリカのロビイストほど過激な弁論家になれとは言えないが、政治家を目指す以上は弁論術の訓練をした方が良い。弁論術の技能が身につかない限り、仮にその人物がどれだけ有能であっても、その言葉は我々国民には届かない。
 もしそのような最低限の技能も身につけられないのであれば、彼らはその席から自ら下りるべきだ。日本はただでさえ疲弊をしている。無能な者が高い席に座り続けるほどの余裕はないのだ。(ただし、映画『英国王のスピーチ』で描かれたイギリス王ジョージ6世のように先天的な吃音症などを有する事例はこの条件には当てはまらない。訓練により改善されない先天的な個性としてのフィラー癖を持ちながら、それでも民に尽くすという志を持って大事を成し遂げたいと誠実に思考と行動をし続ける政治家であれば、我々民は大歓迎をするべきだろう。)

※画像:DALL-E
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