有事と政府、天と人

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私:2010年の中国製作の映画『唐山大地震』を簡単に紹介してくれる?

ChatGPT:2010年に中国で製作された映画『唐山大地震』は、1976年7月28日に実際に起きた唐山大地震を背景にしています。この地震は、中国の近代史の中で最も破壊的な自然災害の一つでした。
映画は、地震によって引き裂かれた一家の物語を描いています。主要なプロットは、地震発生時に崩壊した建物の下敷きになった2人の子供を持つ母親の選択を中心に展開されます。救助隊は彼女に悲痛な選択を迫り、母親は一人の子供を救うためにもう一人を犠牲にしなければなりません。この選択がその後の家族の人生に深い影響を与え、数十年にわたる物語が展開されます。
映画は、家族の愛、喪失、再生をテーマにしており、観客に強い感情的な影響を与えます。リアルな地震の描写と、人間ドラマの組み合わせが特に評価されています。監督は、中国の著名な映画監督である馮小剛が務めています。

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 カナダの華僑女性作家である張翎の小説『餘震』を原作とする映画。1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災を筆頭に、日本人も数多くの悲劇的な震災を経験して来た。つい3か月前にも、マグニチュード7.6の能登半島地震が発生したばかりである。我々にとって地震は非常に身近かつ深刻な自然災害であり、畏れの対象だ。それだけに、本作の震災の場面に共鳴する部分が多く、強く心が痛む。ちなみに、本作は2011年3月26日に日本公開予定であったが、先述の東日本大震災が同年3月11日に発生した為に無期限の延期となった。日本公開は2014年に入ってからである。(この記事の原案を書いている間にも台湾地震が発生した。圧倒的な自然の力を前にして人の命がどれだけ儚い事か。あまりに切ない。)
 本作はとても真摯に人間ドラマを描いている作品であるが、冒頭の唐山地震の場面は実際の23秒ではなく4分もの描写に誇張されている。中国の映画宣伝ポスターのキャッチコピーにも「23秒、32年」という印象深い表現が刻まれており、僅か23秒の地震が32年に渡って幸福な人生を分断した物語性を濃縮している。映画演出として仕方ないとは言え、震災の場面はワンカットによって23秒の再現をするべきであった。
 尚、4分間の地震が非現実的であるかと言われればそのような事はない。東日本大震災の地震継続時間は約6分間であった。この長さは3つの断層が破壊的なパルスを連動させた結果であるとされている。一方、阪神淡路大震災の地震継続時間は約15秒。阪神淡路大震災の死者・行方不明数は6000名を超え、その75%以上がこの約15秒間で建物倒壊の犠牲になったと言われている。涙が出る。(東日本大震災の死者・行方不明者の9割以上は、地震発生から30分前後で到来した大津波による犠牲となった。能登半島地震の死者の大半は倒壊であったが、冬季であった為に低体温症や凍死の被害者も多かった。我々は地域・季節によって防災の在り方が異なる点をより精緻に分析し、実情に呼応する防災情報を作成しなければならない。)
 日本では地震に関する防災教育において、「地震発生から8秒間の行動が生死を分ける」という知見が示されている。この8秒間のうちにするべき三つの行動は、「①安全な場所を探して」「②そこまで走って」「③自分を守る」というものだ。安全な場所とは、机などの頑丈な家具の下、あるいは家屋の外である。しかし、高齢者や子供が身近にいる場合はその通りにはいかないだろう。自分が犠牲になってでも、愛する人を助けたいと願う人が多いはずだ。誰の命を優先するべきか。8秒間で、その判断を理性的に行える訳が無い。日頃の良識と美徳とが、その人を本能的に突き動かす。これは本作の物語の軸になった部分である。
 日本の一部の映画批評において「本作で震災後の救援活動の活動者を人民解放軍のみとして、海外の支援部隊や医療チームの姿を描かなかったのは、製作陣が検閲を懸念したからだ」という評価があったが、これは完全に誤った認識だ。1976年当時の中国は文化大革命末期であり、国内外の情勢が非常に不安定であった為、そもそも政府は海外支援の受け入れを行わなかった。唐山地震の死亡・行方不明者は約24万人(20世紀以後の地震被害の最大値)、重傷者は約16万人。これだけの大災害に遭遇しながら国外支援なしに乗り切った共産党と地方人民政府の統率力、そして混乱の現場で懸命な共助を続けた市民の力は流石だ。もちろん賛否両論のある国家の判断だが、有事(戦争・事変、武力衝突や自然災害などにより国家にとって非常事態が起きる事象)における純粋な政府の統率力の強さという点については我々も見習うべき所があるような気がする。
 政府の統率力と有事の関係性に目を向けた時、直近では新型コロナウイルスのパンデミックの事例が脳裏をよぎる。ここでは各国の統率力の特性が顕著に現れた。パンデミックは2019年12月初旬に発生し、2020年1月には世界的に情報が広がっていた。WHOにより正式な発表があったのは奇しくも2020年3月11日(東日本大震災の日)だった。日本では2020年1月の時点で武漢渡航者の日本人の感染者が初確認され、翌2月には横浜に入港したクルーズ船の日本人乗客が一斉に感染する事件が生じていたが、「危機対策室会議」「専門家会議」「感染症連絡連絡会」等の名前ばかり格好の良い検討会議がチンアナゴのようにニョキニョキと飛び出すものの、日本政府の目に見える統率力はまったく見受けれなかった。彼らは渡航制限もせず、隔離政策も取らず、マスクや消毒液などの買い占め取り締まりもせず、「みんな感染には気をつけようね」とだけ言い続けて、ようやく緊急事態宣言(一部地域)を発令したのは4月7日。その緊急事態宣言によって何が変わったかと言うと、実質的には「みんな感染には気をつけようね」という言葉が「みんなあんまり外には出ないでね」に変わっただけだった。
 その後も、在庫処分と税金使い回しの気配を存分に感ずる謎の布マスクを電通経由でばら撒いてみたり、何一つ実用性のない接触確認アプリを提供してみたり、特定の業界に給付金(税金)を延々と注入し続けたりと、故・安倍元総理と菅元総理が率いる自民党はお馴染みの迷走ぶりを示した。迷走を続ける指導者がまったく当てにならないので、結局我々はいつも通り「自分たちの命は何とか自分で守らなければならない」と必死に忍耐の生活を続けるしかなかった。
 同じ島国という特性を持ち、SARSのパンデミック経験を有していた台湾政府は2019年12月時点で空港の検疫検査を開始し、1月には専門家による本格的な調査を展開、2月には渡航制限、経済支援、衛生用品取り締まりといった政策を次々に実施していった。これは奇跡と言っても良いぐらいの完璧な統率力であり、見事にパンデミック拡大の時間稼ぎに成功した。中国政府もご存知の通り、都市封鎖を含めたこの上なく厳格な防御体制を貫徹した。彼らの政府が2020年〜2021年の最も深刻な有事において、現場指揮能力に長けた人間に大きな権限を与え、とにかく感染症対策に関する政策実施を最優先したという点で、私は憧憬を覚えずにはいられない。
 だが、この話にはまた別の結末がある。2024年現在、新型コロナウイルスの弱毒化によって世情が有事から平時へ完全に戻って、我々はふとある事に気が付いたのである。「あれ、意外と日本はパンデミックのダメージが少なかったのではないか?」と。
 もちろん、産業全体が大混乱し、個人レベルでは失業者も多数発生した。感染によって命を落とした者も大勢いるし、感染の時期によっては苦しい後遺症を抱える事になった者も少なくない。だが、世界全体と比較すれば、死者数が少なく、かつ、経済のダメージも最小限に収まっている。この謎めいた結末の根拠としては、政府の感染症対策がたっぷり遅れた(ワクチン以外特に何もしなかった)お陰で集団免疫が付いた事、政府が感染症対策よりも"自民党のお友達"に向けた経済対策を優先したお陰で一定の経済循環が維持できた事、等の要素が考えられる。アメリカの外交紙の表現を借りれば、豆腐並みの弱々しい統率力しか発揮しなかった日本政府が「weirdly right(奇妙な成功)」を収めてしまった。"天意”というのはまったく計りし得ないものであると、つくづく痛感する。

"近塞上之人有善术者,马无故亡而入胡。人皆吊之,其父曰:“此何遽不为福乎?”居数月,其马将胡骏马而归。人皆贺之,其父曰:“此何遽不能为祸乎?”家富良马,其子好骑,堕而折其髀。人皆吊之,其父曰:“此何遽不为福乎?”居一年,胡人大入塞,丁壮者引弦而战。近塞之人,死者十九。此独以跛之故,父子相保。故福之为祸,祸之为福,化不可极深不可测也。"
「ある国境の近くに住む人に、馬の扱いが上手な者がいました。ある日、その人の馬が突然いなくなり、遊牧民の地に逃げ去ってしまいました。人々はその出来事を悲しんで同情しましたが、彼の父親がこう言いました。『これを不運だと言い切れるのか?』すると数ヶ月後、その馬が遊牧民の地から美しい馬を連れて帰ってきました。人々は喜んで祝福しましたが、彼の父親はまた言いました。『これを幸運だと言い切れるのか?これは悲劇ではないのか?』その後、その家はその馬で豊かになりました。彼の息子は馬術が好きで、美しいその馬を乗りこなしていました。しかしある日、彼が落馬して腿を折ってしまいました。人々はまた彼を哀れみましたが、彼の父親は言いました。『君たち、これを不運だと言い切れるのか?』それから1年後、遊牧民が大挙して国境を越えて来襲しました。成人男性は皆、弓を取って戦いました。国境近くの人々の中で、戦地に向かったほとんどの若者が亡くなりました。しかし、この足の不自由な息子だけは、その為に父と共に生き残ることができました。したがって、幸運が災いに変わることも、災いが幸運に変わることもあり、その変化は計り知れず、深遠で測りがたいのです。」
──西汉·刘安等《淮南子·人间训》"

 ここで記事を終わらせても良いが、私は論理学者として上述の事象について分析をしておこうと思う。統率力の強い政府は有事と平時の切り替えが非常に容易であり、緊急事態に対して即断即決の実行力を持つという長所を持つ。しかし、そこには全体を優先して個人の権利を剥奪する短所も持ち合わせている。統率力の弱い政府は有事と平時の切り替えが難しく、緊急事態に対して優柔不断の検討ばかり重ねてしまうという短所がある。しかし、そこには全体よりも個人の権利を保護する長所も持ち合わせている。
 私の三元論から言えば、自然災害や紛争における有事が発生した際に必要となる支援要素は以下の通りである。

・生存的支援(食欲補填、休息欲補填、運動欲補填)
・概念的支援(技術の提供、知識の提供、方法の提供)
・組織的支援(専門機関の設置、情報の統制、社会及び文化活動の制御)

 指導力の強い政府は強い支援の輝きによって民を導くが、その輝きが天の輝きを遮る事がある。指導力の弱い政府は天の輝きを遮らずに受け取ることが出来るが、民を導く事は困難である。これはどちらが正解かという結論を紡ぐ事は出来ない。だが本当に賢い政府は、天の輝きを見つめながら、自分たちの部屋の光の加減を調整できる人たちであると言えよう。

※画像:DALL-E
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