「言霊は生やさしいものじゃない、あれは念の爆弾だ」

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人間は心を閉ざして感性を失っている人が多すぎる。私でも、心傷ついた直後は感性を少し鈍くする。

素直な感謝、素直なねぎらい、素直な励ましが届かないのだ。

ならばどうするか、何気ない会話や挨拶によって愛を紡いでいくということだ。


過去にこのようなことを思いついた私は、試してみたい言霊法を試すことにした。

身近な人物で、かつ毎日会う、仲も良くない人・・・その中で該当したのが、一番強面の不愛想な警備員。彼から言霊がどのような結果を生むかを検証したのである。

毎日、毎日繰り返し「おはよう」という言葉を発するときに、敢えて心の中で(ありがとう)や(元気になってね)と思い浮かべて声を発した。

挨拶している間は、お辞儀を返してくれる時もあれば、そうでないときもあった。

しかし、反応は気にならなかった。私は自分のおはようにどれだけの念を込めていえるようになれるかという練習を楽しんでいたからだ。


しかし、この練習には意外な形で終止符が打たれる。

大雨が降ったある日、不愛想な看守がわたしに使わなくなっていた傘を貸したのだ。

なぜかはわからなかったが・・・感情よりも先に瞬間に言葉が浮かんだ。
「嗚呼、実験は成功した。良い結果を感じるまでに念を込めたのだ」と。

浮かんだあと、これほどまでに集中して、練習をしなくてもいいなと感じたそれから看守は以前よりもお辞儀を返してくれるようになっていた。


だが、それから数日後に看守がいなくなるという話を聞いた。

来月に自動コードセキュリティーとなりボタンを押して、職員扉を入れるようなシステムに変わるというのだ。そうすると、受付の看守は必要でなくなる。

あっという間に月は変わり、予定通り看守はいなくなった。そして私もしばらくして退職した。

言葉に念を込めるという練習は、良き結果を伴い終了した。


人はだれしも、どんな念を込められているかというのを無意識に警戒している。

生きる上で必要な習慣だ。大切にしたいエネルギーが相手の言葉によって奪われたり、破壊されてしまうからだ。


私はクラアントに急に警戒を緩ませて愛を導き出そうとはしない。
私たちは人間だ、賢くなれる。無邪気な動物じゃない。

日常の脅威に対応したまま、爆弾のような言霊を愛をぶつけることが少ないよう、愛を伝えたいとした。

霊的なスピリチュアルなエネルギーを感じる術は、愛の大きさでも、愛の深さでもない。

愛は人間らしく順序だてて発信し、育て、受け取るものだとここに伝える。

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心と時間の余裕がある限り、何気ない会話に、意識的に感謝とねぎらいのエネルギーを込めながら話すのだ。

後に愛は誤解少なき状態で伝わり、愛は穏やかに確実に受け取れる。

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