被害者意識が一瞬で変わる捉え方

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コラム
昔私は被害者意識がとても強かったんです。
〜された!〜って言われた!〜してくれない!とよく腹を立てていたもんです。
「被害者な私」というあり方で生きていたので、”加害者”の立場になってくださる方があっちにもこっちにもいらっしゃいました(笑)

〜されたと思うことが起きるたびに「コノヤロウ💢」と怒りが湧き上がってきていました。
だって自分が損をしたような気持ちになるし、自分を蔑ろにされているように感じていたから。

目の前の出来事や人は自分の内側を投影するもの。
言い換えれば、自分が自分に与えていたもの。
自分が加害者でもあり被害者になるという、1人で何やってんの?と言う状態。

普段から自分を尊重し、大切にすることはもちろんです。
でもそうしていたって「コノヤロウ💢」と思うことは起きたりするもんです。
そんな時、「〜された」を「〜してあげた」という捉え方をするようになりました。
〜されたは外側から得る捉え方。
〜してあげたは自分の内側から出す捉え方。

若い頃は、目の前をゆっくり歩く人に対して「邪魔!!」と思ったりもしました^^;
「あなたのせいでペースを乱されている」「邪魔されている」と思っていたからですよね。
他人や状況に翻弄されているように感じ、とても嫌な気持ちでした。
だから、
待ってあげる
譲ってあげる
のんびり歩かせてあげる
そんな風に思えると、人や状況を大きく包み込んでいるような気持ちになりました。(前回の記事もよかったら参考にしてください)

「邪魔!」という気持ちで追い越していくこともできますし、
〜してあげるという気持ちで追い越していくこともできます。

「邪魔!」と思う気持ちを否定しているわけではありません。
そう思う自分も○です。ツンツンしてて可愛いと思えます。
どっちでも良いんです。
〜してあげる(余裕のある自分)
〜された(被害者の自分)
どんな自分でいるかは、いつもどの瞬間も選ぶことができます。
その自分が投影される世界です。

最初は自分が与えたものが返って来るのだから、〜して”あげた”のなら、今度は自分は〜してもらえる♪という下心も持ちつつ意識して選択していくようにしていました(笑)
いつの間にか私の周りは加害者も被害者もない優しさで溢れる世界になっていました。


(我慢して無理やりそう思い込もうとしなくて良いんです。その都度自分に優しい選択をしてあげてください。内側の自分が何を訴えかけているのか耳を傾けてあげてください)





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