『キズ』※ホラー、怪談短編。

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 僕の妹の沙耶(さや)は化け物だ。
 小学校に上がる前に、僕は確信した。
 それは夜中にトイレに行った帰りだったと思う。
 仏間に仄かな明かりが灯っていた。
 仏壇の前に、まだ四歳の沙耶がいた。
 彼女は仏壇にある位牌に向かって、何かを呟いていた。
 亡くなった曽祖父、祖父と一緒に会話をしていたのだと思う。
「おじいちゃん。ひいおじいちゃん、私、もうすぐ四歳になります。お兄ちゃんはお母さんと仲が良いのです。うふふふっ、でも、最近はお母さんが私の事ばかりで、お兄ちゃんが私の事をうらやましく思っているみたいだよ」
 クスクスクス、と、沙耶は笑い続ける。
 沙耶の近くにあった、おはじきが小さく揺れて動いていた。
 沙耶は普通の人間が“視えないもの”を“視る事”が出来る。
 それは彼女が年齢を重ねる事に顕著になっていった。
 沙耶はよく、何も無い壁や路地裏、公園のトイレの陰などで見えない何者かと会話をしていた。
「今夜は大きな怪物が来るね」
「怪物?」
 僕は彼女に訊ねる。
「うん。大きな牙と長い爪を持っている。肉食獣みたいな感じなのかな?」
 僕の周りでは、電柱や街路樹などに、異様なキズが増えていた。
 それは、獣が爪のようなもので付けたようなキズだった。
「沙耶。何か近付いているのか?」
「うん」
「それは危険なのか? 僕達にとって」
「わからない……」
 そう言って、妹は首を横に振る。
 幼い頃から沙耶の話を聞いている為に、僕もある種の“霊感”のようなものを見に付け始めていた。この世のものじゃない、所謂、霊的な存在、怪異、見えない怪物のようなものの気配を感じ取る事が出来るのだ。
 だから、妹が何者かと会話している声は聞こえたし、なんとなく霊的にマズイな、と思う場所から何かを感じ取る事は多かった。学校や病院などは、気分が悪い場所は多かったし、雑多な繁華街、風俗街も気分が悪くなる事もあった。電車のホームで正体不明の何物かに話し掛けられた事もある。ああ、これが霊感かあ、と僕は感じたのだった。
 そして、最近の事だ。
 僕と沙耶の周辺に、キズが増えていく。
 それは、街路樹や電信柱、公園のベンチなどで見かける事が多かったのが、徐々に、僕の家に近い場所へとキズは近付いてきた。そして異様な臭いがした。何かの体臭なのだろうか。どうやら、イヌ科の動物の体臭である事に気付いた。唾液の臭いもした。大きな毛も落ちていた。
 そういった怪異に纏わり付かれるのは仕方が無い。沙耶は霊や怪異が視え、話が出来るし、僕も沙耶からそういったものを移されている。だから、気配を遮断する事は出来ない。もう少し年齢を重ねたら、偉いお坊さんか何かにでも相談出来たら良いなあと思った。
 問題は、今回の件で僕達は安全かどうかだ。
 僕はお寺のお坊さんや神社の宮司さんと話した時に、彼らに頻繁に訊ねた事があるのだが、どうやら彼らは“視えない”し“聞こえない”し“気配を感じない”人達が多いみたいだった。やはりそういった職業をしているからといって、力を持っているのではなくて形式的な日本の宗教儀式に則った作法をするだけの人達。僕は彼らをそういう風に見ていた。
 だから、僕と沙耶に迫ってくる危険をどうすれば回避出来るか分からない。
 自分達で何とかするしかない。
 キズは、確実に、マーキングするように、僕達の家の周辺に頻繁に現れるようになった。
 近くで大型犬のようなものに子供が襲われたという話も聞いた。
 そしてついにある事が起こった。
 沙耶が肘の辺りに怪我をした。
 まるで、見えない犬のようなものに身体を引っ掻かれたかのようだった。
 沙耶は左腕から血を流していた。
 僕は急いでハンカチで止血した。
「病院行った方がいいかな?」
 沙耶は淡々と言う。
「そうだね。それに…………」
 僕の膝の辺りもズボンが切り裂かれて傷があった。
 一体、いつ切られたのだろうか。
 どこからか、はあはあと、大型犬の息遣いのようなものが聞こえた。
「どうしよう? 沙耶……」
 一体、どういう化け物なのだろう……。
 僕は怪物図鑑や妖怪図鑑などの本を調べていた。
 すると、ある怪物の絵が眼にとまった。
“狼男”。
 普段は人間の姿をしており、満月の夜に二足歩行の狼の怪物に変身する。あるいは、狼の姿から人間の姿に化ける事もあるという。……もっとも、その怪物図鑑は、近年のロールプレイングゲームなどに登場する狼男のイメージを元にして怪物を紹介していく感じなので、狼男に関しての詳しい文献ではない。ただ、今、僕達の元へと迫っている怪異は確かにこれではないかと思った。
 対策法は分からない。
 銀製の武器が良いとは書かれている。
 僕は骨董店で売っていた、少し高めの銀のナイフを購入した。
 ある日の事だった。
 風の強い日だった。
 僕と沙耶は二人で家の中にいた。
 どんどん、どんどん、と、何者かが体当たりしてくる音が響いた。
 同時に激しい唸り声が風に乘って響いていた。
 僕は銀のナイフを手にして玄関の方へと向かった。
 チェーンを付けたまま、鍵を開ける。
 何かが、家の中へと入ろうとしていた。
 僕には確かに見えた。
 ドアの隙間から、毛むくじゃらの腕に長い鋭い爪が生えた指先が伸びていた事を。
 僕は咄嗟に、ナイフでその指先を斬り付けた。
 すると、ドアの向こうにいる存在は悲鳴を上げて、何処かへと消えていった。
 その日は満月の夜だった。
 嵐だった。
 沙耶は部屋の中で、なんだか楽しそうに満月を見ていた。
 次の日になると、母からある事を聞かされた。ニュースの話だ。
 この辺りで、全身の肉を噛み千切られた若い女性の死体が発見されたらしい。
 警察は死体の状況に困惑しているみたいだった。全身を大型犬のようなものによって食い千切られている。かなり酷いありさまで、現場で嘔吐した者もいるらしい。
 僕の家の玄関には大量の爪痕のキズが付けられている。
 どうやら、マーキングされたのかもしれない。
 次の満月の夜まで、大体、一ヵ月程度だった。
 沙耶は大丈夫だよ、お兄ちゃん、美味しくないと思ったから私達は諦めたみたい、と、僕に軽く言った。
「でも、もし、お兄ちゃんがナイフを買ってなかったら、私達、危なかったかもね」
 沙耶は何処か楽しそうに笑った。


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