ロシアの女帝

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コラム
エカチェリーナ2世はロマノフ王朝において「大帝」の名を持つ一人です。

彼女はそもそもロシア人ですらなく、プロテスタントを信仰する小さなドイツ諸侯の姫でした。

ピョートル1世大帝崩御後皇帝は彼の妻、息子に移り変わった後孫であるピョートル3世となりました、そしてピョートル3世の妻こそ後のエカチェリーナ大帝です。

ピョートル3世は頭のネジが飛んでいる人でした、唯一の趣味は戦争ごっこです、自分を将軍と名乗り、最も尊敬しているのはプロイセンのフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)でした。夜寝る前にいつも妻を誘って兵隊さんのおもちゃを使って一緒に戦争ごっこをしていました。こんな生活環境でのエカチェリーナの気持ちが簡単に想像できます。

ピョートル3世が即位した時、ロシアとオーストリアが反プロイセン同盟国でした、しかも対プロイセンの戦争が絶対優位にいた、いいえ、すでに勝っていましたにもかかわらず、フリードリヒ大王に対する崇拝により即位後すぐ停戦命令を下してしまいました。プロイセンが助かったがロシアの国益に大きな損害をもたらしました。

こんな状況でエカチェリーナは近衛兵(愛人)の幇助により政変を起こしピョートル3世に代わり皇帝となりました。

エカチェリーナ2世即位後、トルコを攻め、ポーランドを侵略し、ロシアのために大きく領土を拡張しました。もちろん他国から見ればただの侵略に過ぎませんが、ロシアから見れば彼女は間違えなくピョートル大帝以来の明君です。

エカチェリーナ2世には多くの愛人がいました(皇帝だから)、近衛兵のみならず、彼女のために他国と戦争する将軍達もまた皇帝の愛人です。ロシア国内反乱を始め、トルコ、ポーランド、スウェーデン….彼女の愛人達の奮闘によってロシアの領土が無限に拡大されていきました。

彼女の手腕でロシア帝国を最盛期に迎えさせました。彼女が死ぬ直前に孫の名前を「アレクサンダー」に命名し、孫の代にアレクサンダー大王のように欧州やアジアを全て統一し、ロシアを正真正銘な第三ローマ帝国であるようにと
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