摩擦を怖がらなくていい

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こんばんは。


最近、誘われたり、来てくださったりとの
交流のひとときが続きました。


そこでも改めて感じたこと・・・


人も適材適所の場所に配置されていて
その場での役を表現されてる。


役の表現と読むと、
私は何ができるのだろうとまた
考え始めるかもしれませんが
根本、呼吸をすることで
充分でもあるのですね。


その土台に気が付かれてくると
今ここにいつもリラックスして寛いでいられる。


これでいいのだという安心から
必要な表現が自然に起きるという
その働きに委ねられるようになります。


為そうとするところから
為されているという心地へ
そこに”私がする”ということを超えて
事は起きているということが
はっきりしてくる・・・
少しずつ、様々な縁が起き、交流、経験を通じて
そこに開かれていかれる。


為されているという視点からは
葛藤や苦しみが起きてきたとしても
『私の』葛藤、『私の』苦しみ
という視点ではなく
葛藤、苦しみが現れていると
そのエネルギーを素直に真ん中で
感じる、溶かしてあげるという機会のように
見えてくるようになります。


現象はいつも中立。


それに対する反応から生まれる摩擦はいつも
『私』の都合、拘りを教えてくれています。
そういう意味では摩擦を起こしてくださるご縁もまた
有難い存在でもあるのですね。


なので、近しい存在にも
相手を傷つけないように建前で関わるというより
本心で関わることが
恵みを与えるということでもあるのですね。



























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