開かれている私たち

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コラム
こんにちは。
最近日常が歩きが多いこともあってか
巡りがよくなっているようで体調がよく軽いです。


地図を道で見ていると、教えてくださるおじさんが現れたり
こちらでは買い物するお店は人が多く
並ぶこともあるんだけれど
その時に隣の列のおばさんに話しかけられたり
図書館では可愛らしい親子とお話する機会が生まれたり
サラという存在はささやかな交流を求めているのか
そのような機会が現れてくることが
多いこの頃です。
ささやかな中での、愛、いのちの交流が
とても心地よいのでしょうね。


こちらでは色んな交流場があるらしく
娘に朝活でもしてみたら?といわれたことで
またそんな体験もいいかもねなんてね。


最近では思考の世界はここに無いものという感覚が
はっきりしていることもあって
探求心もおさまってしまっていたのですが
その世界のことを知るということも
また生きるということの
味わいでもあるのだなあと感じているのでした。


知るということ必要があることは
ここからふわりと
知りたいが湧きあがってくるだろうなと・・・


それが湧いてきたときは
そのことについての答えを求めてみようかな。
これも遊ぶということなのかもしれませんね^^
存在の深み


移ろいゆく中で
知る、関わる必要があるのなら
また衝動が起きてくるのだろうし、
そんな感じで、素直にその時の
湧きあがりを見て
そして、求めてみよう。


どのようなことにも
開いていて
開かれてる


それは違和感あることにも
無理に開いてるということではなく
違和感という感覚にも開いてるという感じ。


最近スマホの不具合で
娘のイライラ~が噴火していることも
多かったけれど
それもまた放っておけば
自然におさまるもので・・・


私たちを通して表現されるどんなことに開いていていいし
また開かれてるのでした。











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