一時しのぎの安心から

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コラム
おはようございます。


なんだかお久しぶり。
ブログは写真も一緒の投稿なのですけど、
最近寒くてお散歩行くことがなかなか起きてこず
写真を撮る機会もなかったのでした。
今朝は窓の景色から^^


この間友人がケーキと一緒に遊びにきてくださって
3人でのひととき時間ほっこりでした。
ありがとう。


日々様々なことが起きてきますね。


その起きたことの中で
都合の悪いことが起きたとき
”都合悪い”という想いの中に
拘りが隠れているのを教えてくれています。


今までは、意味づけでの解釈を探し
安心させて納得させようとしてきたことから
これしか起きようがなかったのだという
海の視点に広がるというように・・・


出来事は同じでも
もう一回り背後からの視点が生まれるような感じがします。


痛みが起きたら
痛みが間違いなく、良い悪いを超えた海の動きの中で
起きたこと。


今の様子に痛みが現れてるので
その痛みと一緒にいてあげる。


ある意味、こうでなきゃいけない
こうなってほしい・・・
何か自分が悪いからなのか・・・
そういった拘りが、出来事からの揺さぶりの中で
落とされていくように感じます。


この揺さぶりが、掴んでる力が強ければ強いほど
苦しい~が出てきますね。
でも、少しずつ緩まれば
風通しが良くなるように楽が生まれる。


どっちでもいいか~と。


自然に落ちれば落ちるほどに
どのような現象が現れても
海の様子
いのち、愛の様子なのだなあという
一回り外の感覚が自然に備わってくる気がします。


意味づけでの一時しのぎの安心から
絶対的な安心が自然に生まれてくるかのように・・・


今のみんなの様子もその様子そのものなのですね・・・


波は波 単独で動いていない
海の変化とともに動き
その体験が起きている。


皆海の中に上に内に存在してる。


いのち、愛の中に・・・








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