都合通りいかないとき

記事
コラム
おはようございます。


世間はクリスマスなのですね。
ここら辺はいつもと変わりのない田舎の風景で
クリスマス感がまったくないサラさんなのでした。


相方さんの様子もどんどんと
空っぽのようになっていく中で
同時に静かに満ちてる感じも届いてきます。
飾りつけされた日常から
ただの日常に戻られていくことに似てる感じなのでしょうか・・・
でも当たり前の恵みが起きていて・・・


自分の都合よくいくように色んなワークもあるけれど
それにあまり入り込めなかったのも
自分の都合が落とされていくことが
いのちで在るという様子だったからなのだなあと
今は感じています。


この間、ご縁ある方がいのちは万華鏡に似てるという
表現をシェアしてくださいましたが、
今生きてるというこの様子、
そこから何が表現されていても
私たちはその万華鏡の一粒で
その移り変わる模様のように
いのちの一つの表現として間違いなく存在してるということで・・・


そこから離れられることなんてあり得なく
一つながりの表現として今この様子も
現れてる。


都合通りいかないことも多いけれど
それが起きてきているのも
いのちに開かれようとしてるのかもしれません。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す