当たり前の中に宿る探し物

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コラム
おはようございます*^^*

昨日掃除機をお迎えしました。

お部屋がさらに綺麗になり心も爽やかです。
人から生み出されたものはすごいですね。

それも神聖さからの現れ。。。

見えるものに宿る、見えない愛を最近は感じ、
輝きが増したように感じています。

私たちは、祈りや役に立ちたいという想いがあるけれど
それは本当に純粋なものかな?
そんな風に昨日は感じていました。

エゴからの表現なのか、存在そのものからの表現なのか・・・

そんなとき”breakthrough”という映画が目につきました。

14歳の少年の実話をもとに創られた映画。
凍った湖に落ちてしまい、8分ほど水の中でおぼれていたようです。

そして、助け出された後も45分心肺停止状態にあったのですが、
お母さんが祈りを捧げた直後、奇跡的に息を吹き返し、
生き返ったというお話でした。

助け出した救助員は信仰深くはありませんでしたが、
捜索中諦めていたときに
”後ろだ”そんな声を聞き、居場所がわかり救出できたそうなのです。

神さまがそう伝えてくれた。
その言葉の先がなんなのかはわからないけれど・・・

そんな風に少年に話してた場面がありました。

お母さんの純粋な祈りもそうですが
私たちは長い間、自分たちが本来は神聖な存在であること
忘れてきている。

大いなるもの(神さま、愛、光、本質・・・・)そのものと繋がり
またそのものであるということ。

それを知り、思い出すときがきているのだろうなと感じています。

そして、今の世の中にもそのような神聖な働きを感じることが
必要なんだと・・・・

そのようなメッセージがこめられた映画なんだなと思います。

奇跡を体験した、少年と救助隊員は、お互いに
神さまの存在や奇跡を伝えるという役目があるんだねとも
話していました。

死を目の当たりにし、感じたような方も多いことでしょう。
それは偶然ではなく、そのとき感じたことを
大切に、また周りの人に伝えるということの役目も
定めとしてあるのだなと感じます。

そしてまたこんな場面も・・・
”なぜあなたは助かり、数年前に亡くなった私の旦那さんは助からなかったの?”と。

大切な存在を亡くす、惜しまれながら亡くなるということも
残された人に学びを届けているのです。

神さまは冷酷でもないし、平等です。
どのような場合も、愛を届けてくださっています。

”愛の力は全てのことを可能にする唯一の力”
そうお母さんは劇中でお話されていました。

息ができたり、髪の毛やつめが伸びたり・・・
そのような当たり前を動かしている何か・・・

そのような当たり前の中に、私たちの探し物は宿っています。

そして、求めれば、このように意識の現れとして
世界に表現として現れてくることも
愛そのもの。。。

意味があって生まれてきた私たちは愛されている。

ありがとう。




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