今ここの様子

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コラム
おはようございます。


昨日お電話でもお話していたのですが
”私はいない”
という表現について・・・


サラさんもこの表現を伝えられたとき
私がいなくなるの?という
勘違いを思考の中でしてました。


でもそれに気づいたからと
何か特別なことが起こるわけでも
見える様子が変わるわけではなく
感覚が広がるという表現でしょうか。


もともと”私”のいない中で
すべての事が起きていたんだなあということが
徐々に見えてくる感じです。


人によりそれがいっぺんに起きることもあれば
徐々に日常の中で気づきが重なり
深まることもある。
サラさんも徐々にです。
一瞥のようなものも起きましたが
それも特別なことではなく
それも他のことと変わらない出来事の一つ。


”私がしてる”
その思い込みが剥がれていく感じ。


”私が見てる”から、”見る”が起きる
”私が聞いてる”から、”聴く”が起きる・・・
見るや聴くは自然に起きてることに
気付かれると
そこに”私が”はなかったことに気づかれてきます。
そのような様子の中でこれまでも
起き続けていたということだった。


私と世界と分けられていた感覚が
わたしの中に、上に現れるものという感じに
変化してきました。


昨日お話した方も
”なぜ、あのときこうだったんだろう”
”あの人、~だったのかな”
と、考え込むことが多いようでした。


これもまた、ただ”湧いてる”。


内容に入り込まない覚悟のように感じます。


今に在り続ける覚悟。
なかなか引っ張られます。本当に・・・
思考って強烈ですよね。
でも自然に、その強烈さが
緩まってくるように感じます。


全体とこの存在も一緒。
存在が全体そのもの。


私が動かしているのではなく
全体の動きを後から”私が”という
思考が湧いていて、そのように
思い込んできたのだなと。


またこれらの表現も湧いてるだけ。


名前も性別も何もない中で
ただただ感覚や思考や感情が
起きてる。


今ここの様子。


孤独を感じることもあることでしょう。
でも、”私はいない”
そのような表現に出合っていることは
恩恵のようにも感じています。




















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