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コラム
こんばんは。


土日は相方さんがごはんを作ってくれるので
楽ちんだし、作ってもらえることが
とても豊かです。
さらにのんびり~~~~
平日も作るだけ作って
あとは片付け丁寧にしてくださるので
バランスとれています^^


そして、今日お部屋の心地がまたよくなったのでした。
はああああ・・・という心地。
お友達が棚を作ってもらって
持ってきてくれました。
お部屋にぴったりで・・・
見とれてしまっています♡
ありがとう~~~~~


ただただ充たされていると
満たされるが続くのかなあ・・・
不思議。
良い悪いがなくなってきてることもあるのでしょうね。
すべてが愛の現れで
何が起きても受け入れるしか
本来私たちにはなくて・・・
それを愛ではない!という考え方の方が
手放せるもので・・・


抵抗が苦しみを生み
判断が、人としても穢れ。
起きたことは間違いなく起きたこと。


今日は愛というテーマがお電話のお話の中で
多かったように思います。


愛せないときも
どれだけ落ち込んでいるときも
もやもやしているときも
いらだっているときも・・・・


その状態も愛なのです。


あの人は間違いだ!
あの出来事は間違いだ!


人がそう思っても
それは人が判断できない
愛の表現なのです。


その状態を変えようとする
考え方の方を捨てていくこと・・・


知識の上で”愛とはこういうものだ”
だったり、
”愛の存在とはこういうものだ”という
知識や理想が邪魔して
見えなくしていることも多いです。


善ができると、悪が生まれ
光に拘ると、闇が現れ・・・


善か悪かも
光か闇かも表面だけではわからない
背後というのか
それらは愛の現れ方の違いだけ


どちらも本当は同じもの。


どちらが正解だというのは
人の分離した視点から生まれています。


そういう想いがでてきたときは
人の視点であって
愛から離れているなというお知らせ。


そのようにサラさんも向き合っているときに
自然に、全体の愛に開かれてきたように感じています。


誰かに愛されていないと思っているときも
そんな状態のあなたも
愛の内で愛そのもの。



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