当たり前の中の至福

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コラム
おはようございます♪


朝から娘から楽し気な動画が送られてきて涙涙。
二人ともに、そのままの自分でいられる相手が
現れて幸せそうです。


娘たちにも拘りない広い心でと名前に”海”を入れましたが
彼らは、岳さん、大空さんなんだとか。
名付けの背後の想いが似てるのかな~なんて
感じたのでした。


私たちは欲しいものを手に入れたいという
求める気持ちが起きてくるけれど
その背後の、至福を感じたいのですよね。


欲しいものを手に入れたときだけ感じられるものではなくて
至福はここに
当たり前の中に存在しています。


良いも悪いも
そう捉える自分が薄まれば薄まるほどに
その当たり前が現れてきます。


ポジティブ、前向きな時だけがそれを味わえる状態ではなくて
ネガティブ、後ろ向きなときも
それはいつもここで私たちを包んでるというか
土台としてあります。


ポジティブ、ネガティブ
そのように名付ける前は、なんとも表現できない
ラベルのない
ただの心地。
両方同じです。


そのただの心地を
どうこうすることなくただただ
味わうのですね。
そうすればそれらは、良い悪い判断通されることなしに
消えていきます。


その良い悪い判断起きる前の
心地として感じる前の場所というのか
そこが至福・・・
そんな表現がここから起きてきました。


これを読んでくださる方・・・
今その心地、その状態がそれで良しなんです。
ふんわり至福が現れてきませんか?







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